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©︎igaki photo studio

『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#02】
太田奈緒美

2022.2.3

かつて北前船の寄港地として栄えた当時の町並みが残る竹野町。
元船主邸・田中邸とその周りに広がる迷路のような路地を舞台に、美術作家の太田奈緖美らが田中邸の調査や竹野に住む方々へのインタビューを行い、人々の言葉や記憶、町の歴史を手がかりに、ブラタケノ運営委員会との協働で作品を創作。2021年2月、まち歩きをしながら巡るインスタレーション・パフォーマンスとして発表しました。

竹野の皆さんとの出会いからリサーチ、パフォーマンスの創作・発表にいたるまでの制作レポートが届きました。
太田奈緒美さんの視点で振り返るプロジェクトの過程を、連載として複数回に分けてお送りします。
竹野でのリサーチ

リサーチ初日の田中邸で、大八車を目にして大いに感激しました。7月に路地幅は大八車に合わせたものだったと聞き、曳く音やその姿のある路地風景が想像され、サウンド、ビジュアル、パフォーマンスの要素を凝縮するアイテムとして是非導入したいと話していました。それを覚えていてくださった青山さんが、なんと田中邸で使用していたもの(屋号と登録票付)を発見してくれていたのです。後日実際に曳いてみると抜群の機能性と路地と融合する光景が素晴らしく、懐かしいねぇと見に来たご近所の方が当時の積荷のお話しもしてくださったりと盛り上がった現場で、空荷で曳く音や荷重がある音などを山崎さんが録音してくれました。



大八車検証
青山さんと田村さん案内のブラタケノは、ガイドツアーというより互いの記憶を確認しつつ話すお二人とともに歩く、といった感覚がとても心地良いものでした。かつては周辺の7つの井戸で地蔵盆があったという話では、子供たちが歌っていた歌も披露していただきました。しかしながら、話を聞き質問し、通訳し、リモート組からの質問も受けるというオンラインのやりとりを数時間続けるのはかなり大変で、なによりも私自身がツールの一部となってしまうためにその場に深く集中できないことはオンラインシェアの大きな課題だと感じました。
ブラタケノ体験の最後は浜からの風景を眺めつつ、竹野の校歌には自然が謳われているという話で、青山さんたちと與田さんによる校歌斉唱となりました。竹野への愛がしっかり受け継がれていることを感じる世代を超えた同窓会を波の音とともにとらえた山崎さん収録の音源は、魅力的な音として田中邸でのサウンドインスタレーションに組み込まれることになります。

2日目は素晴らしい快晴で、じゃじゃ山登頂と海岸を散策する予定には最適でした。摩訶不思議な趣のものもある、時代や造形の違う33体の観音石像があるじゃじゃ山の山頂から見る海は、声をあげてしまう美しさで、隠れ里的な田久日のひっそりとした入江では、グリーンタフ(緑色凝灰石)の多く見られる磯や波の音を堪能する静かな時を過ごすことこができました。同行の二人が録音や写真撮影をしてくれている安心感と、山や入江ではWiFiの不具合でオンラインシェアができなかったことをいいことに、私はただただ風景を満喫し、快晴の元に記録すべきだった波形の映像や自然素材の収集をすっかり忘れていたことにその夜になって気付きました。「昨日私は反省しました。」と翌朝チームに言った言葉は、反省の甲斐なく何度も繰り返すこととなります。インタビューでは話の流れに乗りすぎて、訊ねたかった事を聞きそびれたり、聞き手の私がいつの間にかあれこれ聞き出されていたり、このうっかり加減は作り手としていかがなものかと思いますが、竹野の空気に存分に浸って過ごした時間であったことは確かです。

竹野には活き活きとしたコミュニティが多くあります。ボランティアによって切り盛りされている古民家を改修した食事処「なごみてぇ」は、流木を使った灯りをつくる「ロジナリエ」と手縫いのつるし雛などをつくる「チクチククラブ」の活動拠点でもあります。ゆるやかな集いというよりもはや「チクチク中毒」だと言うほど真剣に創作しているみなさんです。集う場所としては、御用地館(300年以上の庄屋屋敷を復元した竹野川湊館。かな書道の重鎮である仲田光成氏の記念館も併設)、漁港でのセリと木曜日の昼市、西町の漁師小屋、浜辺の休憩所などを訪れました。

御用地館ではオーストラリアチームのリクエストである「好きな歌は何ですか?」の問いに朗々としたお声で歌い出し一気にその場を楽しい雰囲気としてくださった御歳86才の方をはじめ、それぞれに思い入れのある楽曲のお話しをしてくださり、たいそう賑やかな朝となりました。また、この集いの場を後の世代につなぐにはどう運営していくべきか、というこれからへの想いも聞かせていただけました。



(上から)セリの赤イカ©︎Naomi Ota/漁港の昼市
漁港のセリは午後4時のサイレンではじまります。なにがどう決定されたのか検討もつかないままあっというまに終了しましたが、セリ人の米田さん曰く、港によってセリの節回しや用語は違うが、竹野港はそんなにややこしくなく、スピードも遅めなのだそうです。竹野で感じるオープンさはここにも表れているのかもしれません。木曜日の漁港では、お刺身、鮮魚、季節のお惣菜も並ぶ昼市があります。お刺身などは並べている側から次々と手に取られていき、すでにお目当てを得たご婦人方は市がはじまる頃には一斉に帰っていきました。

田中邸のある馬場町側から川を挟んだ西町の河港には漁師小屋が並んでいます。漁師仲間の気兼ねない場として自分たちで建てたという、集う時間には猫たちも帰って来る小屋にお邪魔し、欠かせない仲間となっている元地域おこし協力隊で釣り船業を営んでいる長谷川充さんからもお話を聞きました。漁師は通常手の内を見せないものだけれど、この小屋では一緒にしかけを作ったりするそうです。「知識を広めることで、みんなで助かればええやないか。」と言う80代の最長老の精神を継承しているゆえであり、「こそこそ隠すのはかっこ悪い。」という海に生きる者らしい言葉にもまた竹野の気質を感じました。

西町は、與田さんが生まれ育ったところです。「與田さんと歩く」セッションでは、漁をしていたお爺さまが毎朝作業をしていた河岸や漁師小屋も訪ね、通称ワンコ(船のドック)での海藻干しや浜辺のクルミ拾いというちょっと不思議な遊びのことなどを聞きながら歩きました。弁天浜には、川からも海からもいろんなものが流れ着くと話してくれた浜で出会ったおばあさんは、天候さえ許せば海を眺めに来るそうです。毎日訪れたい風景のある生活がそこにありました。

竹野で出会ったみなさまからの心に残るお話の数々は記するに余りあります。
天保12年(1841年)から、代々麹とともに暮らしてきた「しょうゆの花房」の花房弘史さんからは、地域産業の移り変わりや、土地の味を伝えていく食育のこと、また自らスピーカーを自作するほどの「音」へのこだわりなどの興味深いお話をうかがいました。
ブラタケノメンバーである舩野利光さんの元鶏舎小屋では、お爺さまの手作りだという籠、箕、笠、背負子などの生活道具も拝見し、大八車を曳いて毎日の手伝いをしていた子供時代や、都会での生活を経て40年ぶりに竹野に帰り感じたこと、晩年のお母さまとのことなど、深いお話を聞かせていただきました。
15才頃まで田中邸で暮らしていた現家主である「なりい薬房」を営む田中幸成さんからは、当時のお話とともに父・實治さんが郷土雑誌「万年青(おもと)」に寄せられた寄稿文のコピーをいただきました。實治さんの祖父太一郎さんの帆船漁の話や季節の行事のことに記されている詳細な数字、ブラタケノで知った竹野には三十三の神社があること、お地蔵様が祀ってある七つの井戸、そしてじゃじゃ山の三十三の観音様などの数字はとても印象的で、作品制作のひとつの土台となりました。
パフォーマンス会場の一つとして多大なご協力をいただいた「本と寝床、ひととまる」を営む石丸佳佑さん・望さん夫妻は、6年程前に竹野へ移住してから、よりはっきりと季節を感じる生活になったそうです。また、2才の娘さんが家での会話と方言の日常がある環境で、どのような言葉を話すように育っていくのか楽しみにしていると語ってくださいました。カフェには、好きな本を寄贈してもらうことで様々な蔵書が加わってきたライブラリーがあり、地域の人々や竹野を訪れた人との本を通してのつながりが心地よい空間をつくっています。
吉田さん提案の「各自で路地を歩いてみる」というセッションの後、互いに報告し合うために落ち合った「カフェハウス コロンビア」では、海水浴客で大賑わいだった頃のお話も聞き、好きな歌は?という問いに語ってくださったのは、竹野でのデートで入った喫茶店のジュークボックスから流れていたホテルカリフォルニア。当時の夏の風景が鮮やかに想起される素敵なエピソードは、その後パフォーマンス構想につながっていきました。

竹野で出会った個性豊かなみなさまからのお話や、町での日々の発見が作品につながっていく中で、誰々が同級生で家を行き来して遊んでいたとか、幼なじみから呼ばれている愛称などを知っていき、出会ったり離れたりまた一緒に何かをする仲間になったりという、竹野の時の流れの中での立体的なつながりを羨ましく思ったことでした。

日々の終わりには、それぞれがオンライン共有スペースに写真、音源、資料などをアップロードし、與田さんがその日の出来事をSNSに投稿、私はインタビューの書き起こしや印象的なことを書き留める作業をしていました。海外組とのオンラインミーティングでは、映像に長時間集中するのは難しいとの感想もあり、当初すべてをリアルタイムでシェアするという要望もありましたが、そんなことをしていたらお互い消耗してしまうばかりだったでしょう。



(上から)竹野浜貝殻/田久日グリーンタフ©︎Naomi Ota
日を改めての素材収集。竹野浜で紫色の貝殻と白いヒダのあるフタ状のものを集めました。(後日ルリ貝と青い触手を持つギンカクラゲの中心部であることが判明。)北前船の廻船業で当時の竹野を潤した青井石とは質が違うそうですが、風土を現す緑色のグリーンタフをお借りしに再訪した田久日の海辺は、先日とは打って変わって冬の入り口を思わせる強い風が吹いていました。

リサーチ最終日。路地迷路をかろうじて案内して先日私が発見した井戸を再訪したのをはじまりに、井戸巡りとなりました。迷いながらたどり着いた各井戸にお祀りしてあるそれぞれ相好の違うお地蔵さまに出会い、もっと巡ろうと西町への橋を渡りました。分かれ道で声をかけてくださった方が、畑の収穫を手にした通りかかりのご夫妻に案内を頼んでくださり到着すると、井戸向かいにお住まいのおばあさんがちょうど外にいらっしゃいました。まるで物語のように導かれた井戸で、もうすぐ94才になるというその方がお話してくださった柔らかな口調は強く心に残っています。



(上から)御用地館近くの井戸/町の西端にある井戸©︎Naomi Ota
最後にもう一度心ゆくまで田中邸で時間を過ごし、お食事処おっとっとさんの季節限定「甘エビづくし」で身も心も満喫の締め括りとなりました。リサーチ最終の海外メンバーを交えたオンラインミーティングでは、パフォーマンスの他に田中邸周辺に現在残る5箇所の井戸にサウンドインスタレーションを設置して、町歩きのポイントとして作品に組み込んでいくというアイデアを提案するに至りました。
神戸へ帰る直前の吉田さんとの雑談でコロンビアで聞いたエピソードの話となり、70年代にデートに来てやがて竹野の人となった女性と、石丸さんの2才の娘さんが時を超えて出会うという竹野の過去と未来がつながるような「ひととまる」でのわくわくするパフォーマンス構想が浮かんできました。ノットルとの制作でも、一緒に料理や食事、散歩をしたりする何気ない時間での会話がクリエイティブな発想につながるという体験がしばしばしてありましたが、場所と時間を共有することの大切さとともに、リモートコラボの難しさも再認識せざるを得ませんでした。

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太田奈緒美
メルボルンを拠点に国内外で舞踏、ダンス、演劇、学祭的分野などでコラボレーションを行ってきた美術作家。現在神戸在住。自然や情緒的風景、遠い記憶から導き出される作品は、繊細なディティールから空間インスタレーションまで幅広い。京都市立芸術大学大学院・オーストラリアRMIT大学PhD修了。