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©igaki photo studio
『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#04】
太田奈緖美
2022.2.17
かつて北前船の寄港地として栄えた当時の町並みが残る竹野町。
元船主邸・田中邸とその周りに広がる迷路のような路地を舞台に、美術作家の太田奈緖美らが田中邸の調査や竹野に住む方々へのインタビューを行い、人々の言葉や記憶、町の歴史を手がかりに、ブラタケノ運営委員会との協働で作品を創作。2021年2月、まち歩きをしながら巡るインスタレーション・パフォーマンスとして発表しました。
竹野の皆さんとの出会いからリサーチ、パフォーマンスの創作・発表にいたるまでの制作レポートが届きました。
太田奈緒美さんの視点で振り返るプロジェクトの過程を、連載として複数回に分けてお送りします。
元船主邸・田中邸とその周りに広がる迷路のような路地を舞台に、美術作家の太田奈緖美らが田中邸の調査や竹野に住む方々へのインタビューを行い、人々の言葉や記憶、町の歴史を手がかりに、ブラタケノ運営委員会との協働で作品を創作。2021年2月、まち歩きをしながら巡るインスタレーション・パフォーマンスとして発表しました。
竹野の皆さんとの出会いからリサーチ、パフォーマンスの創作・発表にいたるまでの制作レポートが届きました。
太田奈緒美さんの視点で振り返るプロジェクトの過程を、連載として複数回に分けてお送りします。
滞在制作
2月10日からいよいよ滞在制作がはじまりました。吉田さんと與田さんはTPAM参加のため不在でしたが、高揚と緊張を持って小林さん、山崎さんとともに迎えた一日目、日常感のある空間にしたいので片付けないでくださいとお願いしていた田中邸の納屋をほどよく掃除し、キビソ(蚕が繭をつくる時に最初に吐き出す太い絹糸)で制作したインスタレーションや照明機材の設置を行っていると、以前は止まっていた座敷の振り子時計の音に気付き、家がまた時を刻みはじめているように思えました。青山さんが修理してくださったと聞き、空間を一緒につくっている感も湧いてきて、昼食のおっとっとさんでの「鯛づくし」にも大いに励まされ、順調で美味しい初日となりました。
田中邸納屋のインスタレーション
好天の二日目。サウンド・インスタレーションのスピーカー設置確認のために5つの井戸を巡っていくと、多くの人々に出会いました。まだ路地を把握できていなかった私たちを次の井戸へ案内してくださったり、與田さんのご親戚にも遭遇しました。田中邸の作業も続き、戸棚の中に入れるアイテムやパフォーマンス座敷の竹野で採集したギンカクラゲとルリ貝を使ったインスタレーション、土間にはグリーンタフを配置し、繭玉を想起させるインスタレーションも設置しましたが、「見せる」というより空間に溶け込むことを意識したので、特に目に入らなかった観客もいたかと思います。舩野さんにお借りした薪、背負子、籠なども日常を意識して配置しました。後日舩野さんが、「ちゃんと置くべきとこにあるやないか。」と気づいてくれたのはうれしかったです。乾燥させて保管したつもりのグリーンタフの石たちは乾ききって緑色がかなり褪せていたので、水に浸けて色を再現し、毎日水から上げて配置しなおしました。少し儀式めいた日々お世話する感じは、むしろ心地良く思う作業でした。田中邸には水回り設備がないので、青山さんがご近所の戸外の水場使用の承諾を得てくださり、田村さんは現在住まわれていない田中邸近所のご実家を、機材などの置き場に提供してくださいました。
ギンカクラゲとルリ貝インスタレーション©igaki photo studio
子供たちが家々を廻ってバレンタインチョコを渡していて、浜辺に集う高齢の方々の話題もバレンタイン、と微笑ましい好天の4日目。午前には新聞2社の取材があり、午後から大八車パフォーマーの京極さんが合流し、移動するタイミングや、お供えの花に水をあげるなどのアイデアを検証した後、京極さんの衣装探しで豊岡のおおたユニフォームセンターさんにお世話になりました。イメージは「つなぎとジャンパーに長靴」でしたが、色によって職種が違って見えたりをあれこれ言いながら、與田さん助言の漁師さんがよく着ているという艶のある深い青色のジャンパーを試着すると、一同納得のできあがりとなりました。日々の作業後にはKIACでミーティングを行い、スタッフが持ち回りで報告メールを一斉送信してくださり、その日のまとめや翌日の確認事項などの細やかな共有が素晴らしかったです。
京極さん・大八車@河港 ©igaki photo studio
2月16日KIAC休館日。33年に一度ご開帳の御本尊十一面観音さまを拝しに、城崎の温泉寺を参拝しました。田中邸パフォーマンスのキーワードにもなっている33という数字は、あらゆる人々を救うための「観音菩薩の三十三変化」に由来しています。力強いノミ跡が美しい御本尊の前で、以前の企画で大変お世話になった小川祐章住職とゆっくりお話しができました。ご開帳がコロナ禍と重なったことへの「33年というのは観音様から見ればほんのひと時なので、何をそんなにあたふたしているのかと眺めているかもしれませんね。」というお言葉が印象深かったです。
2月17日。ひととまるのパフォーマーである増田さんがチェックイン。予報通りの大雪となり、鋳物師戻峠を超える竹野への道はすっかり真っ白でした。立ち位置や動きと言葉に伴う表情、音のきっかけ、物の配置などを確認し、言葉に造詣深い増田さんのテキストへのフィードバックやチームからの意見もいただき、しっかりと先が見えてたことで「もう、私の手から離れました。」と思わず言うと、小林さんからの「それは早すぎるでしょ!」の一言で一同笑ってその日の作業は終了。
翌日には、サックス演奏で共演してくださる田村さんが、ご自身による譜面とアイデア持参で参加。ウォーミングアップで少し吹いただけで空間に広がりを感じ、お願いしてよかったとつくづく思ったことです。田村さんはひととまる内での音の響きの良さから、ライブ構想を石丸さんと話したりもしていました。充実したリハの後、なごみてぇでテキストで語られる手作りの灯りを借用し、増田さんを田中邸や井戸に案内しました。噴水のように水が出て積もった雪を溶かす消雪装置が竹野の路地にもあり、その日は井戸のポンプが発動していることに気づき、各井戸から地下水を汲み上げて消雪していることがわかりました。水場としてはもう使われていませんが、井戸は活躍しています。
ひととまるパフォーマンス©igaki photo studio
ひととまる作り込み最終日。増田さんと田村さんのセッションも言うことなしで、インプロ演奏を繰り返すのもよくないと、通しは一度で終了しました。とてもホワイトな現場です。パフォーマンスで使用する紅茶カップ&ソーサーは、小林さんのお婆さまのコレクションからお借りすることとなり、大切な人の「家」のアイテムがまたひとつ組み込まれました。増田さんの更衣室、暖房器具、そして身体に滲み入る数種のお茶も用意してくださったりと、石丸さんの暖かいご支援には感謝の限りでした。
2月21日。増田さんはKIACスタジオにて自主稽古に入り、最後のパフォーマー岸本さんが到着。峠越えの景色や竹野の海や街並みに、絶えず静かな歓声をあげていた岸本さんですが、はじめての竹野をゆっくり味わってもらう間もなく、軽い案内後すぐに田中邸へ。表側の奥座敷には、明治時代の見事な細工のお雛壇が飾られ、前座敷ではチクチククラブによる縮緬細工のお雛様展示が進められていました。ご近所の方も出入りする雰囲気の中でのリハーサルは竹野のみなさまと共につくっている気持ちとなり、パフォーマンスの場となっていくことで、田中邸空間の新たな魅力や可能性も見えてきました。翌日から照明オペレーションの藤原海翔さんも参加。田中邸という時間が蓄積された場で竹野で集めた言葉が語られると、空間に生命が宿っていくように感じ、岸本さんが「竹野には三十三つの…」の謡とともに取り入れてくださった竹野の瓦にも見かけられる恵比寿様の印を結ぶ所作によって、言葉と土地がつながっていきました。
田中邸作業風景
田中邸内で過ごすと、天候や時刻によって変化する光がよく見えてきました。その時々で見え方が変わる空間や聞こえてくる生活音は、その一瞬でないと得られないおもしろさを生み出します。これらを肯定的にとらえてその楽しみを共有できるチームとともに、空間ができあがっていきました。日々の変化はこの他にも、知らぬ間に誰かによって何かが足されたり動いていたり、些細な変化ではあっても毎日が決して同じではない日常のように、小さなハプニングが起こる生きている現場を楽しんでいました。「家」というものの魅力とはそういうことなのもかもしれません。田中邸での作業後に路地で出会ったお孫さんたちとご一緒の田中さんにご挨拶し、テキストに登場する「實治さん」の息子さんですよと岸本さんに告げると、「物語の中の人に出会うなんてー。」と驚いていました。確かにパフォーマーとして語る言葉を実際に言った人に偶然出会うというのはたいそう稀なことでしょう。制作期間は、時の交錯する日常の物語の中にいたような時間でした。
2月22日より感染予防のお願いを添えてSNSでの告知を解禁し、すでにかなりの予約があったことで、2日目にもう一回上演を追加することにしました。総合受付のたけの観光協会ではもちろん検温などをしますが、ご近所の方々の予約なしの来訪も予測して、各会場でも連絡先の確認を含めた感染予防対策を徹底しました。
2月24日。大八車のサポートと夕食づくりを担当してくださる中島明日香さんも参加し、各パフォーマンスの通しと、井戸を巡るルートを確認しました。田中邸でのパフォーマンス中に岸本さん背後の窓の外を大八車が通過し、路地をまわって観客背後の窓側も通るというアイデアのテストでは、聞こえてくる曳く音が、家の空間や語られる言葉を外へつなぐ有機的な効果をもたらしました。翌日のゲネプロには映画作家の波田野さんも参加し、コロナ禍で海外メンバーが来日できずに一人でこの企画をすすめることとなった時にはまったく想像できなかった、総勢15名ものチームで翌日の成果発表に臨めることを感慨深く感じたことです。
上:ひととまるパフォーマンス 下:田中邸パフォーマンス©igaki photo studio
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2月10日からいよいよ滞在制作がはじまりました。吉田さんと與田さんはTPAM参加のため不在でしたが、高揚と緊張を持って小林さん、山崎さんとともに迎えた一日目、日常感のある空間にしたいので片付けないでくださいとお願いしていた田中邸の納屋をほどよく掃除し、キビソ(蚕が繭をつくる時に最初に吐き出す太い絹糸)で制作したインスタレーションや照明機材の設置を行っていると、以前は止まっていた座敷の振り子時計の音に気付き、家がまた時を刻みはじめているように思えました。青山さんが修理してくださったと聞き、空間を一緒につくっている感も湧いてきて、昼食のおっとっとさんでの「鯛づくし」にも大いに励まされ、順調で美味しい初日となりました。
好天の二日目。サウンド・インスタレーションのスピーカー設置確認のために5つの井戸を巡っていくと、多くの人々に出会いました。まだ路地を把握できていなかった私たちを次の井戸へ案内してくださったり、與田さんのご親戚にも遭遇しました。田中邸の作業も続き、戸棚の中に入れるアイテムやパフォーマンス座敷の竹野で採集したギンカクラゲとルリ貝を使ったインスタレーション、土間にはグリーンタフを配置し、繭玉を想起させるインスタレーションも設置しましたが、「見せる」というより空間に溶け込むことを意識したので、特に目に入らなかった観客もいたかと思います。舩野さんにお借りした薪、背負子、籠なども日常を意識して配置しました。後日舩野さんが、「ちゃんと置くべきとこにあるやないか。」と気づいてくれたのはうれしかったです。乾燥させて保管したつもりのグリーンタフの石たちは乾ききって緑色がかなり褪せていたので、水に浸けて色を再現し、毎日水から上げて配置しなおしました。少し儀式めいた日々お世話する感じは、むしろ心地良く思う作業でした。田中邸には水回り設備がないので、青山さんがご近所の戸外の水場使用の承諾を得てくださり、田村さんは現在住まわれていない田中邸近所のご実家を、機材などの置き場に提供してくださいました。
子供たちが家々を廻ってバレンタインチョコを渡していて、浜辺に集う高齢の方々の話題もバレンタイン、と微笑ましい好天の4日目。午前には新聞2社の取材があり、午後から大八車パフォーマーの京極さんが合流し、移動するタイミングや、お供えの花に水をあげるなどのアイデアを検証した後、京極さんの衣装探しで豊岡のおおたユニフォームセンターさんにお世話になりました。イメージは「つなぎとジャンパーに長靴」でしたが、色によって職種が違って見えたりをあれこれ言いながら、與田さん助言の漁師さんがよく着ているという艶のある深い青色のジャンパーを試着すると、一同納得のできあがりとなりました。日々の作業後にはKIACでミーティングを行い、スタッフが持ち回りで報告メールを一斉送信してくださり、その日のまとめや翌日の確認事項などの細やかな共有が素晴らしかったです。
2月16日KIAC休館日。33年に一度ご開帳の御本尊十一面観音さまを拝しに、城崎の温泉寺を参拝しました。田中邸パフォーマンスのキーワードにもなっている33という数字は、あらゆる人々を救うための「観音菩薩の三十三変化」に由来しています。力強いノミ跡が美しい御本尊の前で、以前の企画で大変お世話になった小川祐章住職とゆっくりお話しができました。ご開帳がコロナ禍と重なったことへの「33年というのは観音様から見ればほんのひと時なので、何をそんなにあたふたしているのかと眺めているかもしれませんね。」というお言葉が印象深かったです。
2月17日。ひととまるのパフォーマーである増田さんがチェックイン。予報通りの大雪となり、鋳物師戻峠を超える竹野への道はすっかり真っ白でした。立ち位置や動きと言葉に伴う表情、音のきっかけ、物の配置などを確認し、言葉に造詣深い増田さんのテキストへのフィードバックやチームからの意見もいただき、しっかりと先が見えてたことで「もう、私の手から離れました。」と思わず言うと、小林さんからの「それは早すぎるでしょ!」の一言で一同笑ってその日の作業は終了。
翌日には、サックス演奏で共演してくださる田村さんが、ご自身による譜面とアイデア持参で参加。ウォーミングアップで少し吹いただけで空間に広がりを感じ、お願いしてよかったとつくづく思ったことです。田村さんはひととまる内での音の響きの良さから、ライブ構想を石丸さんと話したりもしていました。充実したリハの後、なごみてぇでテキストで語られる手作りの灯りを借用し、増田さんを田中邸や井戸に案内しました。噴水のように水が出て積もった雪を溶かす消雪装置が竹野の路地にもあり、その日は井戸のポンプが発動していることに気づき、各井戸から地下水を汲み上げて消雪していることがわかりました。水場としてはもう使われていませんが、井戸は活躍しています。
ひととまる作り込み最終日。増田さんと田村さんのセッションも言うことなしで、インプロ演奏を繰り返すのもよくないと、通しは一度で終了しました。とてもホワイトな現場です。パフォーマンスで使用する紅茶カップ&ソーサーは、小林さんのお婆さまのコレクションからお借りすることとなり、大切な人の「家」のアイテムがまたひとつ組み込まれました。増田さんの更衣室、暖房器具、そして身体に滲み入る数種のお茶も用意してくださったりと、石丸さんの暖かいご支援には感謝の限りでした。
2月21日。増田さんはKIACスタジオにて自主稽古に入り、最後のパフォーマー岸本さんが到着。峠越えの景色や竹野の海や街並みに、絶えず静かな歓声をあげていた岸本さんですが、はじめての竹野をゆっくり味わってもらう間もなく、軽い案内後すぐに田中邸へ。表側の奥座敷には、明治時代の見事な細工のお雛壇が飾られ、前座敷ではチクチククラブによる縮緬細工のお雛様展示が進められていました。ご近所の方も出入りする雰囲気の中でのリハーサルは竹野のみなさまと共につくっている気持ちとなり、パフォーマンスの場となっていくことで、田中邸空間の新たな魅力や可能性も見えてきました。翌日から照明オペレーションの藤原海翔さんも参加。田中邸という時間が蓄積された場で竹野で集めた言葉が語られると、空間に生命が宿っていくように感じ、岸本さんが「竹野には三十三つの…」の謡とともに取り入れてくださった竹野の瓦にも見かけられる恵比寿様の印を結ぶ所作によって、言葉と土地がつながっていきました。
田中邸内で過ごすと、天候や時刻によって変化する光がよく見えてきました。その時々で見え方が変わる空間や聞こえてくる生活音は、その一瞬でないと得られないおもしろさを生み出します。これらを肯定的にとらえてその楽しみを共有できるチームとともに、空間ができあがっていきました。日々の変化はこの他にも、知らぬ間に誰かによって何かが足されたり動いていたり、些細な変化ではあっても毎日が決して同じではない日常のように、小さなハプニングが起こる生きている現場を楽しんでいました。「家」というものの魅力とはそういうことなのもかもしれません。田中邸での作業後に路地で出会ったお孫さんたちとご一緒の田中さんにご挨拶し、テキストに登場する「實治さん」の息子さんですよと岸本さんに告げると、「物語の中の人に出会うなんてー。」と驚いていました。確かにパフォーマーとして語る言葉を実際に言った人に偶然出会うというのはたいそう稀なことでしょう。制作期間は、時の交錯する日常の物語の中にいたような時間でした。
2月22日より感染予防のお願いを添えてSNSでの告知を解禁し、すでにかなりの予約があったことで、2日目にもう一回上演を追加することにしました。総合受付のたけの観光協会ではもちろん検温などをしますが、ご近所の方々の予約なしの来訪も予測して、各会場でも連絡先の確認を含めた感染予防対策を徹底しました。
2月24日。大八車のサポートと夕食づくりを担当してくださる中島明日香さんも参加し、各パフォーマンスの通しと、井戸を巡るルートを確認しました。田中邸でのパフォーマンス中に岸本さん背後の窓の外を大八車が通過し、路地をまわって観客背後の窓側も通るというアイデアのテストでは、聞こえてくる曳く音が、家の空間や語られる言葉を外へつなぐ有機的な効果をもたらしました。翌日のゲネプロには映画作家の波田野さんも参加し、コロナ禍で海外メンバーが来日できずに一人でこの企画をすすめることとなった時にはまったく想像できなかった、総勢15名ものチームで翌日の成果発表に臨めることを感慨深く感じたことです。
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太田奈緖美
メルボルンを拠点に国内外で舞踏、ダンス、演劇、学祭的分野などでコラボレーションを行ってきた美術作家。現在神戸在住。自然や情緒的風景、遠い記憶から導き出される作品は、繊細なディティールから空間インスタレーションまで幅広い。京都市立芸術大学大学院・オーストラリアRMIT大学PhD修了。