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photo by bozzo
ーきゅうかくうしお的醸すin城崎ー 滞在日記【3】
きゅうかくうしお・河内崇
2022.8.15
パフォーマンスユニット「きゅうかくうしお」のメンバー9名が、2022年1月23日~2月5日城崎国際アートセンターに滞在し、リサーチと新作のクリエーションを行ないました。作品のテーマは「醸す」。
自由につくることに集団として向き合い、各メンバーの視点で作品化された「醸す」が空間内で交わる新作「KU的醸すin城崎」は、観客が各作品を自由に鑑賞・体験できる形式をとり、様々な「醸す」についての考察を体験者に促すインスタレーション作品です。
2022年2月4日(金)に予定されていた試演会は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となってしまいました。この連続エッセイでは、滞在制作の様子や城崎で感じたことを、メンバーのうち石橋さん、河内さん、辻本さん、松澤さん、矢野さんの5人にそれぞれの視点で綴っていただきます。
滞在日記【3】は、河内崇さんによるエッセイです。
自由につくることに集団として向き合い、各メンバーの視点で作品化された「醸す」が空間内で交わる新作「KU的醸すin城崎」は、観客が各作品を自由に鑑賞・体験できる形式をとり、様々な「醸す」についての考察を体験者に促すインスタレーション作品です。
2022年2月4日(金)に予定されていた試演会は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となってしまいました。この連続エッセイでは、滞在制作の様子や城崎で感じたことを、メンバーのうち石橋さん、河内さん、辻本さん、松澤さん、矢野さんの5人にそれぞれの視点で綴っていただきます。
滞在日記【3】は、河内崇さんによるエッセイです。
2020年8月、パンデミックの最初のピークを終えた頃、きゅうかくうしおは千葉の山に集まり、一週間を過ごした( https://kyukakuushio.com/works/works_202008_yamah/ )。最終日の夜、かがり火は燃え続け、太陽が上るころに鎮火した。それからあっという間に1年半が経過した。あの時のように、なんとかまた1週間で再び着火すればいいなと思いながら城崎に集まった。僕は、他のメンバーに遅れること3日目、その日の朝のウォーミングアップに合流した。メンバー全員が並んで手をつなぎ、そのまま城崎国際アートセンター周辺を散策するという課題で、文字にすると仲良しこよしに過ぎないが、実際には運動不足はかなり解消されたし、コミュニケーション不足も解消された。道を渡るのも、歩道を進むのも、起きたてのまなこを手でこするのも、コートを脱ぐのも(両手がつながっているので)ままならず、それが一時間続くので毎朝汗だくになった。久しぶりに一同に会するので自分自身慎重になっていたようで、突然身体中に血液がめぐり、腹がへった。端的に元気が出た。年始は城崎直前まで別の公演に従事していたのだが、舞台仕事ときゅうかくうしおの現場では使う筋肉が少し違うのを感じた。僕は今年45歳になりもしこの先90まで生きるなら、今を人生の折り返し地点として、今年の始めはそういうことをやけに考えた。そしてきゅうかくうしおも折り返しの6年目と言うこともできるが、当初「10年続けよう」と今のメンバーが集まったものの(集まったというか、二人の奇才と天才の閃めきによって生まれたときに居合わせたという感じで、すでに2度のメンバーチェンジを経験している)2020年の山の思い出を引きずったまま先が見えず、ゆえに場所と時間を自由に使ってよいと言ってくれた城崎国際アートセンター(KIAC)で、今後を考える機会になった。
朝散歩の様子最終日の集合写真 (photo by bozzo)
とにかくずっとそんな気分だった。最終電車で城崎温泉駅に着き、KIACまでの道を歩いたが、そこから先は暗闇で、竹野に抜ける山道につながっていた。KIACは温泉街から外れた、里山との境界線上にある。
翌日、きゅうかくうしおのメンバーと、猟師の森上さんの案内で竹野の山に入り、生きた鹿を囲み、それを食った(この文章を書いているのはそれから4ヶ月後のことだが、今思えば、それが自分にとってのきゅうかくうしお@城崎のすべてだったようにも思える)。正確には、それはシメたての鹿で、まだ体温が残ったその肉片が、自分の身体のなかに入っていくという不思議な感触たった。森上さんの日常にあたりまえのように転がっている「生死の間」に僕たちは突然連結されたが、それは境界の風景だった。人間社会の反対側にある自然に分け入り、自然を切り分け、それを共に味わった。癒しの儀式だった。人生の折り返しがどこなのかは実は分からないのだが、最終地点は僕たち全員に等しく課せられた義務で、僕たちの興味は「そこに至る道のりをプロデュースする」というもので、それは「醸すプロジェクト」として実行された。
わな猟に同行させていただいてリサーチ
展示設営中の様子photo by bozzo
アートへの興味はいつもその類のもので、それは(境界の)あちら側を覗き見たいという欲求にほかならず、KIACでのワークは、「あちら側」へアクセスし、「こちら側」の日常にそれを演劇的に出現(再現)させる試みだった。「醸す」というテーマは、繰り返されるディスカッション=言葉、認識、思考の根っこにあるものに、さらにフィジカルに刺激を加え、変化、作用を生み出した。ふたたび山に入り、依代(よりしろ=境界にある、動物の骨や憑依した樹木や石)を拾い集め、舞台装置としてのインスタレーションを今回の成果としたが、それは、きゅうかくうしおがこれまでにもアニミズム信仰や八百万の神(それだけではないが)といった感覚を作品の要素としてやってきたことと同様に、インスピレーションはいつも境界からやってくる。
photo by bozzo
朝散歩の様子最終日の集合写真 (photo by bozzo)
とにかくずっとそんな気分だった。最終電車で城崎温泉駅に着き、KIACまでの道を歩いたが、そこから先は暗闇で、竹野に抜ける山道につながっていた。KIACは温泉街から外れた、里山との境界線上にある。
翌日、きゅうかくうしおのメンバーと、猟師の森上さんの案内で竹野の山に入り、生きた鹿を囲み、それを食った(この文章を書いているのはそれから4ヶ月後のことだが、今思えば、それが自分にとってのきゅうかくうしお@城崎のすべてだったようにも思える)。正確には、それはシメたての鹿で、まだ体温が残ったその肉片が、自分の身体のなかに入っていくという不思議な感触たった。森上さんの日常にあたりまえのように転がっている「生死の間」に僕たちは突然連結されたが、それは境界の風景だった。人間社会の反対側にある自然に分け入り、自然を切り分け、それを共に味わった。癒しの儀式だった。人生の折り返しがどこなのかは実は分からないのだが、最終地点は僕たち全員に等しく課せられた義務で、僕たちの興味は「そこに至る道のりをプロデュースする」というもので、それは「醸すプロジェクト」として実行された。
展示設営中の様子photo by bozzo
アートへの興味はいつもその類のもので、それは(境界の)あちら側を覗き見たいという欲求にほかならず、KIACでのワークは、「あちら側」へアクセスし、「こちら側」の日常にそれを演劇的に出現(再現)させる試みだった。「醸す」というテーマは、繰り返されるディスカッション=言葉、認識、思考の根っこにあるものに、さらにフィジカルに刺激を加え、変化、作用を生み出した。ふたたび山に入り、依代(よりしろ=境界にある、動物の骨や憑依した樹木や石)を拾い集め、舞台装置としてのインスタレーションを今回の成果としたが、それは、きゅうかくうしおがこれまでにもアニミズム信仰や八百万の神(それだけではないが)といった感覚を作品の要素としてやってきたことと同様に、インスピレーションはいつも境界からやってくる。
photo by bozzo
きゅうかくうしお 河内崇/舞台監督
TPT シアタープロジェクト東京を経て、2008年よりフリーランス。黒沢美香、鈴木ユキオ、森下真樹、KATHYほか国内外のクリエイションに参加。2018シーズンAgora de la Danse(モントリオール )技術部所属。2019年ACC アジアン・カルチュラル・カウンシルグランティ(個人フェローシップ)としてニューヨーク滞在。