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撮影 igaki photo studio

「身体を〈記録メディア〉として活用する」:俳優の視点から
竹中香子

2022.11.7

2022年5月23日~6月8日と、7月20日~31日の2期に分けてKIACで滞在制作を行ったHydroblast『最後の芸者たち』。滞在制作後は9月に東京公演・大阪公演を経て、豊岡演劇祭フリンジ【Selection】に参加し、パフォーマンスを上演しました。
作・演出の太田信吾さんとともに同プロジェクトで2022年3回城崎に滞在し、創作を行った『最後の芸者たち』出演/コラボレーターの竹中香子さんによる、俳優の視点からKIACでの滞在制作を振り返る滞在記です。
数年前、いつも楽しみに見ているお笑い番組で、お笑いコンビの「ネタ書いている方」「ネタ書いていない方」論争というのが話題になった。「ネタ書いている方」の言い分としては、「ネタ書いていない方」は、「1から100」に持っていくことと、「0から1」を生み出すことの違いをあまり理解していないということ。「ネタ書いている方」がもっと評価されてもいいのでは、と。しかし、私のようなコアなお笑いファンは、「ネタ書いている方」がいかに素晴らしいかということは、百も承知である。

私が普段やっている「俳優」という仕事は、まさに「ネタ書いていない方」であり、「1から100」に持っていくことである。正直、「0から1」を生み出すことのできる演出家や劇作家の才能を前に、自身も芸術に携わっていると言うことすら躊躇することもある。「ネタ書いている方」の「0から1」がなければ、自分たちは存在しないのだから。

『最後の芸者たち』の創案者、太田信吾さんに芸者文化に関する作品を一緒につくろうと誘われた時も、誰かが「0から1」にした「1」を、どんな形であれ「100」まで昇華させる気持ちで、快諾した。私にとっての演劇は、「0から1」にするその「誰か」が重要である。演劇は関係性の芸術であり、「1から100」にすることを生業にする私にとって、作品のテーマよりなにより、創作にあたり深く関わっていくであろう「0から1」にするその「誰か」自身のほうに興味を持つからである。

2021年、コロナ禍真っ只中、私は拠点であるパリと城崎をよく往復していた。当時、パリ−東京間を往復するとなると、日本で14日間、フランスで7日間の自宅待機を強いられ、計3週間を失うことになる。カナダで行われる予定だった新作クリエーションが、カナダへの渡航禁止に伴い現地での制作が不可能となり、共演者がいる日本に私が渡航し、カナダにいる演出家マリー・ブラッサールと、2週間半の滞在制作をすべてリモートで行うこととなった。そんな状況下で、私にとってはじめてのKIAC滞在制作が始まり、急遽、日本側から映像監督としてプロジェクトに参加したのが太田信吾さんだった。太田さんにとっても、結果的にその後城崎と深く関わっていくきっかけとなったのである。そのひとつの大きな要因として、総監督としてのマリーのスタンスにおける変化があったと思う。滞在制作も中盤に差し掛かった頃、マリーが「コロナ禍で国際協働制作をするということは、それぞれが『権力』を手放していくことだと感じている」と少し寂しそうに口にした。マリーは、野外ロケの指揮を太田さんと私たち出演者に委ねた。「13時間の時差ありリモート」という創作環境のなか、どうしてもメンバーに「任せる」部分が増えてしまうのは、演出家として、非常に不安な経験だったと思う。それでも、彼女は想像していたものと違うものが私たちから提示された時、常に、そこに生じた「取り違え」を受け入れ、振り回されることに寛容であった。私たちも然り、わかりあえないもどかしさを逆手にとり、徐々に自分たちの想像力を駆使し、全力で勘違いしながらも解釈した作品を提示できることの面白さを得た。

2021年、マリー・ブラッサール『Violence』の滞在制作時の様子。マリーはリモートでカナダからオンライン参加。

この時、コロナ禍という特殊な状況下において、城崎周辺の街を歩き周り、さまざまな魅力的なロケーションに出会ったことがきっかけとなり、志賀直哉『城の崎にて』を原作に、太田さんと短編映画『現代版 城崎にて』の撮影を決行。言葉にはできない「街が持つエネルギー」に突き動かされたとしか言いようがないのだが、なんと、KIAC滞在制作が終了してから3ヶ月も待たずして、また城崎に映画撮影のため戻ってきたのである。

撮影を通して、私たちにとってさらに「馴染み深い街」となった城崎だが、次に太田さんの心を虜にしたのが、城崎温泉最後の芸者「秀美さん」の存在である。城崎温泉には、かつて芸者文化が栄えていたのだが、現在は絶滅しているとのこと。当時一番年下であった芸者の「秀美さん」が、城崎最後の芸者だそうだ。太田さんはすぐに本人にコンタクトを取り、芸者文化の取材を決行。

私が、初めて秀美さんにお会いしたのは城崎コミュニティーセンター近くの喫茶店『沙羅の木』だった。私はコーヒーを飲む秀美さんの手元に視線を奪われていた。秀美さんの手がシュガーポットを開ける。スプーンにそっと伸ばした手。砂糖をコーヒーに入れる時の手首。コーヒーカップを持つ指先。そしてカップをソーサーに置く時のクッションとなる小指。それはしなやかで、上品で、美しいと思った。太田さんが、車に何かを取りに行った時、秀美さんとふたりきりになった。秀美さんは、「女の人はね、姿勢もしぐさも、ちょっとしたことだけどね、とても大事」と何気なく言った。それまで、秀美さんのしぐさに完全に魅了されていたのに、その言葉を聞いた瞬間、アレルギーが出たかのように、全身がかゆくなったことをよく覚えている。

私はフェミニズム的思考が強い家庭で育ったので、女性は男性と対等にあるものだと、幼少期から強く意識させられて育ってきた。自分で自身に課してしまった「女性性を出すこと=男性に媚びること」という過剰なジェンダーフリー思想に、女性として息苦しさを感じていた部分も正直あったと思う。だから、芸者文化を題材に作品をつくるということに関しても、最初はいまいちのれなかった。それでも、「1を100にする」ことはできると関わり始めた。

まず、秀美さんのもとで日舞のお稽古が始まった。最初の演目は『潮来出島』。ゆっくりでカウントの取りにくいリズムに、私は辟易としていた。私がフランスに10年以上住んでいるからという理由でなく、すでに私たち世代の身体には、西洋のリズムが刻まれており、西洋のリズムの取り方の方が気持ちいいのである。母国に伝わるリズムを聞いても、身体が全く反応しない。伝統文化とその国に育ったはずの身体の乖離を感じた。それでも、「1を100にする」ことはできると練習を続けた。

2022年6月の滞在制作中、秀美さんとの稽古を地域交流プログラムとして公開。お座敷へ入る際の所作について話し合うメンバー。

同時に、太田さんとKIACでの滞在制作に向けて、全国の芸者さんをリサーチする旅に出た。会津若松で労働環境を積極的に改善するため活動している若い芸者さん。大井海岸を拠点に日本でただ一人の男性として芸者を生業にしている方。お客さんとして体験した京都のお座敷。実際に新米芸者としてお座敷を体験させてくれた、長野県上山田温泉の芸者さん。スナックを経営しながら、若手の舞妓さんの面倒を見る金沢の芸者さん。私は、いつの間にか「0から1」を産み出すプロセスにも参加していた。俳優である私とプロセスを共有する理由として、太田さんは以下のコンセプトをあげた。

「身体を〈記録メディア〉として活用する」


今までカメラを用いて記録してきた映像を、身体をカメラとして扱い記録することはできないか。実際、お座敷は個人のお客様がクライアントとなって、芸者さんを呼んで時間を過ごす場所なので、カメラで撮影することは非常に難しい。ならば、私たち自身がカメラとなり、記憶と時代と想像の「記録媒体」となった私たちの身体を通して、作品を観客の前に現出させるのだ、と。

このコンセプトを聞いた時に、「0から1」を作り上げる人と、「1から100」を作り上げる人を役割分担するなんて、なんて稚拙だったのか、と目が覚めた。演出家には演出家の、「0から1」にする瞬間と、「1から100」にする瞬間があり、俳優には俳優の「0から1」にする瞬間と、「1から100」にする瞬間があるのだ。

2022年7月の滞在制作時、公演のPVを撮影している様子。

カメラになった私の身体は、ものすごい勢いでいろんなものを「撮り」始めた。それは、どこか自分の「意志」を手放す作業であったとも言える。通常、演技というものを構築するにあたり、戯曲をもとに能動的に自分の解釈から、その空間における自身の身体のあり方を編み出すというプロセスがあると考えられる。以前、國分功一郎氏の『中動態の世界』(*1)を読みながら、演技と中動態について、さまざまな考えをめぐらしていた時から、私の演技は「能動的」であると感じていて、それに付随する「意志」や「責任」のため生じる常軌を逸した本番前の「緊張」状態とどう対峙しようかと悩んでいたのである。『中動態の世界』によると、能動態は「主体から発して主体の外で完遂する過程」を表現し、中動態は「主語がその座となるような過程を表しているのであって、主語はその過程の内部にある」と説明されている。つまり、能動態では〈活動を一方的に発出する起点〉になっているのに対し、中動態は、〈主語が活動の過程の内にある〉という事態が示されているのである。この時、主語は、なんらかの状況に常に巻き込まれているので、「意志」や「責任」の所在をはっきりさせるのが難しい。上演芸術において、稽古中に何人もの人間が関わっていても、最終的に観客の前に姿を現す俳優は、その「意志」や「責任」を必要に以上に背負ってしまい、なんらかが「完遂する行為」を求めがちであるが、上演芸術の「ライブ」という特徴を考えると、稽古場とは異なり、外部からの「ノイズ」がたくさん存在する空間を歓待するという意味では、ある状況に巻き込まれている「中動態」的状態の方が適切なのではないか。たとえ、中動態という状態が運んでくるであろう「脆弱さ」と隣り合わせになっても。

撮影:igaki photo studio/2022年7月の滞在制作時の通し稽古の様子。

「好き」や「嫌い」、「得意」や「苦手」のフィルターをはずした状態で、私の身体は撮影を続けた。そんな中で、なかなか愛着を持てなかった日舞のお稽古が、確実に進化を遂げた4日間があった。『最後の芸者たち』のKIAC滞在期間は終わっていたが、すぐ翌月また別のプロジェクトでKIACに滞在していた私に、秀美さんの方から、「いつでもお稽古にきなさい」と連絡があった。太田さんも他のメンバーも不在の状況で、私だけが、秀美さんのご自宅にお稽古に通った。8畳のお部屋で、私は秀美さんの前で何回も踊り、その度に秀美さんは、細かくアドバイスをくれた。それ以前のお稽古では、秀美さんが細かいことを言うことはなかったのだが、ある一定のレベルに差しかかったことで、次の技を伝達する言葉を受け渡してくれたのだろうと思う。私は、その時、ジェンダーを超えたところで、日舞の動きひとつひとつが美しいと自然に感じ、ただただそこに1ミリでも近づきたいと熱願した。

撮影:igaki photo studio /2022年7月の滞在制作時、パフォーマンス後に秀美さんからフィードバックをいただく様子。

そして、迎えた『最後の芸者たち』の公演。能動的に、他者の状況を解釈し、自身の身体で表現していくことを「演技」、演じる技と呼ぶなら、今回、身体をカメラとして常に物事に巻き込まれながら、そして、本番もまだ巻き込まれ続けている私の身体は、「現技=そこに現出させる技」とも言えるような中動態的状態であった。それは、フィルムとなった自身の身体を公演ごとに観客の前で「現像」していくような不思議な感覚であった。

つながりがつながりを呼び、創作の外にまで関係性が広がっていったのは、まさに、KIACという場所の特性であると思う。KIACレジデンスアーティストであることは、1年のうちのほんの数ヶ月なのだが、いつ城崎にもどってきても、喫茶店や温泉、道端で、地元のような居心地の良さを感じた。KIACから始まった私たちの「大冒険」に感謝を込めて。



『最後の芸者たち』大阪西成公演(2022年9月)

 


*1=國分功一郎著『中動態の世界 意志と責任の考古学』医学書院 (2017)
 

竹中香子(俳優、『最後の芸者たち』出演/コラボレーター)
2011年に渡仏し、日本人としてはじめてフランスの国立高等演劇学校の俳優セクションに合格し、2016年、フランス俳優国家資格を取得。パリを拠点に、フランス国公立劇場を中心に多数の舞台に出演。2017年より、日本での活動も再開。フランスの演劇教育や俳優のハラスメント問題に関するレクチャーやワークショップを行う。2021年、フランス演劇教育者国家資格を取得。主な最近の出演作に、市原佐都子作・演出『蝶々夫人』『マダム・クリザンテーム』、太田信吾作・演出『最後の芸者たち』。太田信吾との共同企画、映画『現代版 城崎にて』では脚本を担当。2022年度KIACレジデンスアーティストとしてフランソワ・グザビエ=ルイエとソロパフォーマンス作品を共同執筆中。 https://mill-co-run.com