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2019年10月26日

『shuffleyamamba』出演者インタビュー【西岡樹里】

2019年10月5日(土)、6日(日)に出石永楽館にて世界初演を行った『shuffleyamamba』。
クリエーション中に出演者ひとりひとりに行ったインタビューを公開します。
3人目は、西岡樹里さん。

【いろいろな人たちの声を聴く立場】

―― 西岡さんは作中、何度か衣装替えをされて登場しますよね。作中では、それぞれどういうポジションというか、役割を担っているんでしょうか。

西岡:そうですね、すごく複雑で何と言ったらいいか難しいですけど……。作中には、いろんな登場人物がいますが、私はそういう人たちの声を聴く人だと思っています。それをこう、自分の身体の中で解釈して、踊っていく人。

―― 例えば「聴く」ことが象徴されるシーン、何かありますか?

西岡:例えば冒頭は私たちの間で「仏像」と呼んでいるシーンで、自分たちでつくった振付を踊っています。私の身体の外にある、仏像の写真やイメージを見て、そこから解釈した動きとか、自分たちが想像して、新しく、ああ、こういう動きになったらいいなという振付を、つくったところです。そういう意味では、外から来たものを聴いて(踊る)、ということとも言えるかと思います。

作中で、いろんな型を踊るけれど、そういった意味では「仏像」のシーンは自分の中から出てきた振付……私たちが発信者として話し始めるところでもあると、思っています。でも、聴くことと発信することの違いって、どちらが起点かどうか明確に区別できないから、両方が重なっているのかな、とも思います。

 

【振付は楽譜みたいなもの】
―― 型通りに踊ることと、型を踏襲しながら自由に踊っていくことの感覚の違いや心持の違いはありますか

西岡:昨日から、自分のやってきたことを思い返しながら考えていたんですが……「仏像」のシーンの振付も、型の一つだと思っているんです。私たち(西岡さん、渋谷さん、上野さん)と余越さんで作った、型。

西岡:例えば……伝統的な踊りは流派の型があって、その流派で多くの人に共有されている、身体の形があります。「仏像」の型は、多くの人に共有されているものではなく、個人から出てきたものっていう違いがあると思っています。『shuffleyamamba』を3年間つくっていく中で、手を、なんていうか……つくりたい形を、何回も再現するために、ここに手を出してとか、このタイミングで1cmほど首を傾けて、その次に息を吸って、そしたらこれくらいの深さで息を吐いて……っていうことが、型になっていっている感覚があるんです。そうすることで、100%再現はできなくても、繰り返せるようになっていく。

「仏像」の動きは外からイメージがあるから、そこに近づけるためにいろんな身体の工夫が必要で、すごく大変なことなんです。でも「仏像」の型は、今の私の生きている身体が素材になっているので、踊るときは自然というか、無理がないことに近いんです。でも、過去から伝わる型は、前の時代の身体を持つ人が作ったものだし、その時代に美しいとされていた見方とか、もしくはその時代に踊りを作った人の感覚とか、その人の身体の長さや強さや型によって形成されたものだから、私がそこに合わせていこうとすると、身体が痛いと感じることもあるんです。「なんでこんなねじれを身体でやろうと思ったんやろう」とか、不思議に感じることがたくさんあって。まったく違う時代の身体を、私の中に入れようとしていることで生まれる痛みというか。

もし「仏像」の踊りを未来の誰かが踊るとしたら、きっと多分そういうことが起こるんだろうなって。もちろん誰かが作った踊りには、いろんな目線が入っているし畏怖を覚えるけど、誰かがその時代の環境で型をつくるということは、現代も続いているなと思う。今も、仏像として作り続けていることの中にあるなあと感じることがあります。

―― バレエや日本舞踊など、いわゆる古典と呼ばれるものの型は、当時生きていた人の身体に則った美学でつくられていて、それが、2019年を生きる西岡さんの身体には少し不自然だと感じることがある、ということですか?

西岡:そうなのかな。型と身体って、作った時点では同じだけど時間がたつにつれて別々のものになっていくと思います。楽譜が型だとしたら、それぞれの時代の人たちが、それぞれの時代を生きる生身の身体で、その楽譜を呼び起こすというか。だから時代によって歌い方が変わったり、「昔は短かったけど長く伸ばす演奏に変えたりする方が、その当時のことを伝えられるんじゃないか」って工夫したり。やっぱり、時代によって話し方も変わるし、着ている服も変わるから、当時の解釈を伝えるための工夫みたいなものはされていくと思うんです。楽譜が脈々と続いていっていて、それを呼び起こすための身体も、続いていっているような。

―― 楽譜の例はすごくわかりやすいですね。

西岡:よかったです(笑)。

踊りの場合は、舞踊譜といって踊りを記号化して記録する踊りの楽譜のようなものもあるけれど、それが使われることはどちらかというと少なくて、ほとんどの型は口伝えや、身体を通して伝えられるものです。最近は映像でもたくさん残っていますよね。そういった型が持っている可能性というか、力が、未熟な私のような者が踊ることで、見えるものがあるかもしれないという……型の力ってすごくおもしろいと思います。他のモダンダンスなども、いろんな国境や人種、年齢、性別を超えられるものだというおもしろさに、頭では気づいてはいても、実際にやる勇気は必要だし、踊りの長い歴史の中に、様々な型を体験することで、自分がその歴史の中にいるんだ、と実感せざるを得ない瞬間があります。

 

【指先を動かすだけで景色が変わるダンスの魅力】

―― この作品の要素の一つに、セクシュアリティがあると思うんですが、性を彷彿とさせる振付やシーンに対してのためらいは、ありましたか。

西岡:最初に想像したのは「家族や身内が観た時、どんなふうに思うのかな」ということでした。私の身近な人たちは、普段からいろんな表現やアートを観る生活ではなかったり、日常的に美術館に行くことは少ない気がするから、分からないこととか知らないことを、ある意味「怖い」「危険」と思ったりしてしまうと思ったんです。今回の性にまつわる表現も、私たちや作品にとって必要だし、いろんな作品のテーマになることはあるものだけれど、そういったことに普段から触れない人たちに向けて、どうやって手渡すか、というところで、この作品はどう進んでいくのかなっていう不安は、はじめはありました。だから、この作品は誰かにとって観たことのない表現の一つになるかもしれないけれど、でも観た人の中で起こる揺れみたいなものは、あっていいんじゃないかとは思っています。

―― 西岡さんが踊りを続けるのは、どうしてですか。

西岡:……踊ることでつくれるものに、おもしろさを感じているからだと思います。これまでに、いろんな振付家やダンサー、現場やそこにまつわる多くの人たちから受け取ったたくさんの素晴らしいものが自分の身体の中にあるけれど、やめようと思えば、いつでもやめられると思っているんです。他に仕事をしながら踊らないといけない環境でもあるし、それだけじゃなくて今は文化・芸術へのサポートも減ってきている中で、自分が舞台に関わる機会もこれから減っていくかもしれないと思うけれど、これまでは、身体で見せられるものがおもしろいと思うから続けてきたんだと思います。少し手が動くだけで景色のバランスやデザインが変わったり、雰囲気が変わったりして、身体ひとつでできることのおもしろさはダンスにはすごくある。だから、魅力的だなと思っています。身体に繋がることで、これからもおもしろいことをやっていけたらと思っています。

 

(聞き手:インターン笠田優奈・立花実咲・和田奈那美/編集:インターン立花実咲&KIAC)

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