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2020年2月6日

余越保子インタビュー「継承について」

インタビュアー:筒井 潤(dracom)
筒井 : まず、実験音楽家であるアメリカ人のゲルシーさんと、このプロジェクトを一緒にやろうということになった経緯を教えていただけますか。

余越 : 話が遡りますが、歌舞伎舞踊の『京鹿の子娘道成寺』をコンテンポラリーダンスの視点から解釈して再構築した『BELL』という作品を2013年にNYで発表しました。その作品にゲルシーが歌い手として参加してくれて、クリエーションの過程で長唄の「道成寺」を日本でお師匠さんに仕込まれました。長唄の世界も歌舞伎界も基本的には男性の世界なので、女性の歌い手が大きな舞台で歌うというのはよくあることではありません。それで彼女が「道成寺」を学び、歌うのに、大丈夫かと心配していたんですが、結構うまく歌ってくれました。彼女に長唄を教えてくださった先生も上達があまりに早いからすごく驚かれていました。外国人で、それも女性が「道成寺」をこんなにも歌えるんだ、という発見が先生にもあったと思います。
私はそれまでにも、NYからダンサーを呼んで、日本舞踊の先生に仕込んでいただいたことが何度もあったんですが、やはり私の先生もダンサーの飲み込みの早さに驚かれていました。誰でも、というわけではないんですが、秀でたアーティストであれば日本人でなくても、伝統芸能がある程度できてしまう。そういう場面を何度も目撃してきました。
もちろん言葉の問題や、歌の場合は発音の問題は大きなハードルですね。日本舞踊の場合は外国人が日本的な所作をするときに、それがどこまで「日本的で」、どこからが「日本的ではない」かの線引きがなかなか難しい。それでも「かなり」近づきはします。現代の日本人ダンサーが日本舞踊を踊るときも、なかなか日本舞踊にはならないんです。それと同じように、アメリカ人ダンサーも日本舞踊の所作にはならない。そしてこれらの距離はそれほど違わないとも思います。
何百年も前にやっていた日本人の所作を、現代を生きる我々ができるか、と言ったら、できないわけです。それを正確にキープしようとしているのが古典芸能だと思いますが、ではその芸能を引き継いでいくのに、絶対に日本人でないと駄目なのか?という疑問が自然と出てきます。外国人がそこまで上手くできるのであれば、日本人でなくても日本の古典芸能を引き継ぐことができるのではないか、という疑問です。西洋のクラシック音楽やバレエを日本人が長い時間をかけて継承してきたように。
いまでは日本人以上に、外国人のほうが、日本の古典に興味がある場合もあります。そうすると伝統芸能って、どこまでが日本人固有で、どこまでが世界が共有する芸能なのだろうか、という疑問が生じる。どんな風に芸が後世に伝わっていくのかというそのプロセスに関心があります。アメリカ人のゲルシーをクリエーションに誘ったのはそういう背景があります。
多くの伝統芸能の分野で後継者がいなくて困っていますよね。私は伝統芸能の当事者ではありませんが、振付家やダンサーの育成事業に中堅作家として参加することも多いので、興味深い問題だなと思います。私の視点からいうと、日本ではコンテンポラリーダンスのアーティストがなかなか育たないように思います。ダンサーは多いですが、作品を作れる振付家やアーティストがなかなか育たない環境がある。ダンスの公演数も多くないですし、お客さんも少ない。この何年後かには、コンテンポラリーダンス作品が消滅してしまってもおかしくないかもしれません。もちろん、ダンスはあると思いますし、いろんな形で続いていくでしょう。でも、私がこれまでやってきたようなことは、もうなくなっていくのだろうな、と思ったりします。
そういうこともあって、芸能の継承というのは、人間が伝えていくものなので、「なんと危ういものなんだ」と思うわけです。600年の歴史があるお能でさえ、後継者を募るのが難しくなっていると聞きます。それで、どんなパフォーミングアーティストにとっても、継承というのは大切な課題だと思うわけです。

筒井 : 余越さんも危機感をお持ちですか?

余越 : お能については、私は当事者ではないし能楽師でもないですが、見ていてどうなっていくのかな、という興味があります。歌舞伎にしても私が日本舞踊を習っていた先生方は歌舞伎がもう歌舞伎じゃなくなってしまった、と嘆いています。でも、そういったことは、いつの時代の芸能者も、今、受け継いでいる若者がだめだっていうことをずっと昔から言われてきていると思うので、そんなに大したことではないでしょう。
ただ今の時代は変化のしかたが少し違うような気がします。例えば、初音ミクが歌舞伎役者としてデビューしていますよね。初音ミクが踊り、歌い、そこに生の歌舞伎役者さんたちが絡んで作品が作られていて、若い人にも人気があります。デジタル技術がすごく進んでいるから、とっても上手です。藤間勘十郎さんという舞踊家が実際に踊られて、その動きの情報をデジタル化していて、プロの舞踊家のような踊りができる。そうすると生半可な訓練を受けたパフォーマーよりも初音ミクのほうが断然素敵に見える。そして、初音ミクは年を取らず、美しいままずっと生きている。そうすると芸能は、初音ミクに継承されていくのかな?って思ったりもする。人間は必要ない、ってなるのかな、って(笑)。まさか、そうはならないとは思いますが。今の時代の変化というのは、これまでの芸能者たちが出会ったことのないタイプの変化だと思います。

筒井 : 余越さんはそういう状況に興味があるのでしょうか?

余越 : 私が個人的に嘆くのは、これまで見てきた素晴らしい古典芸能の役者や舞踊家たちの芸が見られなくなることを思うと、実に悲しいですね。ただ、お能でも、世阿弥の時代のお能と、私たちが今見ているお能はかなり違うでしょうし。だから、継承といっても、そのまま何も変わらないように繋げていくというよりは、その時代の手垢がついていろんな形に変化せざるを得ないと思います。その変化のしかたを嫌だなと思う私がいて、なんで初音ミクに歌舞伎をさせるんだ、と思ってしまう私がいる。ただ時代についていけてないからなんですが(笑)
でも、例えば出雲阿国の出現で歌舞伎が生まれたわけですが、当時は「なんだ、この女?」と思った人は多かったでしょう。いつの時代も、そういう人が現れて世の中を改革していったんだと思います。初音ミクが今の出雲阿国なのかもしれないですね。人間が発明したデジタルの文化に芸能が拮抗して生まれたわけですから。そうやって文化が発展していくから、いけないことではないでしょう。それはもうただの変化ですから。

筒井 : その状況に興味があるという余越さんと、その継承のされ方が残念だというもう一人の余越さんがいるように感じます。

余越 : それは多分、私の中に、演出家としての目線と、ダンサーとしての目線が同時に存在しているからです。二つに接点がないわけではなのですが、それらはいつも平行線上にあるんですよね。例えば、弟子として先生にずっと踊りを教えていただいて、ひたすら練習をして上手くなっていく日常を送ってみたいと願う自分がいると同時に、作家として作品を作りたいという自分がいて、そこには、なんというか、壊したいというか、揺さぶりたいという衝動もあるわけです。カッチリしたものを、揺さぶることによって何かが生きる、と信じているんでしょうね。そういう舞台人としての衝動がある。踊りっていうのはいつも揺さぶってないと立ち上がらないから。そういう作り手としての自分と、舞踊家として美しいものをそのまま全く崩さずに継承したいという自分がせめぎあうのです。いつも自分の中にそういった矛盾を内包して、おまえはどっちなんだと、問うています。

筒井 : 昔から余越さんは継承することに興味があったんでしょうか?

余越 : 継承なんて、考えたことなかったですね。ただ、私が生まれて初めて「踊り」というものに触れたのは盆踊りです。近所のおばあちゃんたちが教えてくれました。バレエを習っていたときは先生がずっと教えてくださった。誰かから習う、っていうことは、踊りを踊るうえで切っても切れないことです。私の中で踊りを踊るってことは、人からもらうということでした。小さな頃から。それがいかに大切か、ということはもっと後になって気づいたことですが。
NYでダンサーとして踊っていたときは、即興を作品のなかで踊ることが多かったので、振付家から「おまえは誰だ?」とずっと突き詰められながら踊っていました。自分の踊りとはなんなんだろう、と20年くらい自分に問いながら踊っていた。当時はそのことのほうが忙しかったから、誰かからなにかを引き継いでいるかなんて考えたこともなかった。
ただ、アメリカで私が踊っていたときは、いつも日本人・アジア人のダンサーという肩書がついてきました。自分が携えている文化というものから、個人の余越保子を切り離して踊ることがなかなか難しかったです。もし日本にいたら自分が日本人であることを意識せず、ただ踊るということができたでしょう。海外に住んでいたために、「どこからきた」とか「なにを体に携えて立つか」という意識がより強くなったのかもしれないですね。

筒井 : 振付家になるためにアメリカに留学されたんですか?

余越 : いえ、実は秘書になりたかったんです。バイリンガル・セクレタリー。英語で働ける秘書になりたくて、アメリカに留学しました。入学した大学にたまたまダンス学部があって、体育の授業でダンスのクラスをとったのが始まりです。グラハムテクニックとかカニングハムテクニックを学びました。まだコンテンポラリーダンスという言葉はあの当時はなかったですね。留学したのが80年代はじめですから。

筒井 : 話を伺っていく中で、継承をおのずと意識した流れは掴めたんですが、滅びの美学というものも持っていたりしますか?変なかたちで継承されて残っていくよりも、美しいままなくなったほうがよいのではないかと思ったりすることはありますか?

余越 : これは日本舞踊の話ですけど、私が習っていた先生は現在流派を継承されている家元と美学がまったく異なるんです。先代の家元の美学を私は学んだんですが、それが継承されないまま消えていってしまった。なんてもったいないんだ、と思いました。
でも今のコンテンポラリーダンスが残ってほしいとは全く思わないです(笑)。あまり面白いと思わないから。ただお客さんが少なくなって、助成金も小さくなっている、というのは嘆かわしい事実です。いい作品、面白い作家がたくさん出てきてほしいし。
帰国して、若いダンサーたちがいっぱいいて、世の中にまだまだすごいものがすぐ近くにいっぱいあるんだけども、見たり触れたりする機会が少ないことを知りました。とにかくいいものを見ないと、育たないから。そこには歯がゆさを感じますね。私はNYですごいものをたくさん見せてもらったから、自分が作っていく上で肥やしになりました。そして、日本にもそういう土壌があってほしい。
若い子たちがいまから作品を作って踊っていく中で、ぜったいに必要な土壌です。日本ではその土壌があまりにも乏しいのは悲しいことです。日本は自分が育った国なので、その思いが強いですね。なんとかならないのだろうか、ってすごく思います。

筒井 : いまでもNYの土壌はそんなに乏しくなっていないのですか?

余越 : やはり作品の量も多いですし、作家の層も厚いですから、底力がありますね。コミュニティがあるから、人の力があるなと感じます。日本に帰ってきて思うのは、こんなにダンスやりたい人たちがいっぱいいて、ひとりひとりの想いもすごく強いのに、それらが繋がっていかないのは、共同体が生まれないのはなぜなんだろうと。学校にしても、劇場にしても、助成金システムにしても、プロデューサーや、いろんな人の力で総体的に動かしていかないと社会の中で芸術活動が機能していかないです。
そして、お能の世界は、共同体がすごく強い。お互いに助け合っていい舞台を続けられるように協力し合っている。自分たちでなんとか能の劇場をキープして、お金を集めてきて、お客さんも自分たちで増やしていこう、という集合体としてのパワーがあります。お能が日本の土壌で生まれた共同体だからなのでしょうか。コンテンポラリーダンスは日本で生まれてないから、根っこがない。それがなかなか育たない理由かもしれません。

筒井 : 余越さんは、これまでに考え、積み重ねてきた自分の経験やセンスみたいなものを誰かに継承したいと思ったりしますか?

余越 : 後世に伝えたいか?若い子達に?…(間)…そうですねぇ…、役に立つなら(笑)、求められれば、ですかね。日本にはいいダンサーはたくさんいるんですよ。でもすごい振付家がまだ出てないですね。だからそれは出てきてほしいです。ただ、振付は継承できないです。まぁ、私が作ってきたものを誰かに踊ってほしいということはあっても、だからって別にね…。
あっ!こういうことは言えるかもしれません。お能や日本舞踊に私がなぜ興味があるかということに繋がりますが、日本人が持っている身体性というのは、お能、日本舞踊、歌舞伎、文楽など全部含めてですが、もうその中にてんこ盛りにあるわけですよ。その視点から作品を作っている作家がまだ出ていない。ダンスと伝統芸能の間に乖離があるわけですよね。ダンスを作っている人たちと、伝統芸能をやっている人たちの横のつながりが全くない。それで弱いんだと思います、日本のコンテンポラリーダンスは。いまアジアのアーティストの多くは、伝統芸能の基本をしっかり持っていて、それを現代の発想で個人の目線へと転換している。そういった作家が日本に出てきてもいいのに、まだ出てこないですよね。伝統芸能は伝統芸能の方達の間で、保守して継承してほしいですが、それは私の仕事ではないです。ただ、作家として日本の身体性を作品に反映するということはやってみたいです。そこに一番関心があります。

筒井 : では、余越さんがやっていることは継承だと、ご自分で思われますか?

余越 : うん。Definitely!  継承に寄与していると思います。私には作家として、ある程度の発信力がある。そして情報を受け取る力が他の人よりも大きいと思います。自分がアーティストであるがために。ゲルシーを日本に呼んで、彼女がお能の謡を習って作品を一緒に作って、彼女は今から音楽家としての人生に、お能の音楽性をどんどん取り込んで生かしていくことでしょう。多くの人がその音楽を聞くと思います。こういう出会いが広がっていくことは、私にとって何千人ものお客さんに見てもらうよりも手応えがあったりします。とても地道な作業だけど、深いです。しっかりしている。肚がある。種としては小さいけれど、同時にすごく大きな価値があることだとも思いますね。

※2017 年8月に行ったインタビューを一部抜粋して掲載しています。

余越保子
演出家、振付家、映像作家。広島県出身。1996年よりNYをベースに活動、2013 年に拠点を京都に移す。2003年と2006年に2度のベッシー賞(最優秀作品部門)を受賞。日本とアメリカの文学、歴史、ポップカルチャー、伝統芸能を題材にしたダンス作品の他、ティーンエイジャーとの共同制、本の出版、映画の自主制作など、創作活動は多岐にわたる。2014年に発表した『ZERO ONE』はJCDN「踊りに行くぜ!!」Ⅱの国内巡回公演とKIACでのレジデンシーを経て、NYのダンススペースプロジェクトで英語バージョンが上演され、2015 年度ニューヨークタイムズ紙の批評家が選ぶダンスベストテンに掲げられた。その後、TPAM2017 のディレクションプログラムにて上演された。

筒井潤
dracomリーダー。演出家、劇作家。2007 年京都芸術センター舞台芸術賞受賞。Segal Center Japanese Playwrights Project 2018において日本現代演劇の優れた戯曲の1つとして代表作『ソコナイ図』が選出。dracomとして東京芸術祭2019ワールドコンペティションに参加。個人でも『Silent Seeing Toyooka』(城崎国際アートセンター)、『滲むライフ』(DANCE BOX)、『破壊の子ら』(京都造形芸術大学舞台芸術研究センター)の演出、山下残振付作品、マレビトの会、KIKIKIKIKIKI、akakilikeの公演への出演、TPAM2016アジアン・アーティスト・インタビューのインタビュアー等、様々な活動を行っている。

INFORMATION

余越保子『shuffleyamamba』

構成・演出・映像・監修:余越保子
共同演出・音楽・出演:ゲルシー・ベル
ドラマトゥルク:筒井潤(dracom)
振付・ゲスト出演:砂山典子(dumb type)
共同振付・出演:上野愛実、大崎晃伸、渋谷陽菜、西岡樹里、福岡さわ実

滞在制作期間:2019年3月3日(日)~3月17日(日)/9月14日(土)~ 10月7日(月)
公演日程:2019年10月5日(土)~ 6日(日)
会場:出石永楽館

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