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フレデリック・フェリシアーノ/Le Friiix Club『Birdy』アーティスト・トーク《Q&A》

2023.12.17

2023年6月、フランス・ボルドーを拠点に活動するフレデリック・フェリシアーノ/Le Friiix Clubによる『Birdy』 の滞在制作終盤にアーティスト・トークを実施しました。日伊通訳で行われたトークの様子をお届けします。

通訳・文字起こし:並河咲耶
編集:城崎国際アートセンター(KIAC)

Q&A


質問1:フランスの演劇やダンス、サーカスはすごく教育のシステムがしっかりあると思うのですが、人形劇の教育システムはどのような感じですか?また、彼自身はどういう経緯で人形劇に関わるように?

フレデリック・フェリシアーノ(以下FF):まず、フランスの舞台芸術の仕組みというのはきちんと確立されたものがあります。フランスの場合は演劇のモリエール、イタリアの場合はオペラのモンテヴェルディというように、欧州各国それぞれ代表するアーティストがいて、それぞれのジャンルの基盤となるものがありますよね。人形劇の場合、2年に一度世界人形劇フェスティバル(Festival Mondial des Théâtres de Marionnettes)が行われているシャルルヴィル・メジエールという街があり、この街にフランス国立高等人形劇芸術学院(ENSAM)という人形劇のための重要な学校があります。この学校で、ヨーロッパをはじめ、世界中のマエストロから学びます。3年間の課程が終了し、25歳くらいでいざキャリアを作っていかなければならないというときに、この学校の卒業証書がある種の保証になります。様々な国や地方政府の補助金等へのアクセスがしやすくなるのです。そして4年前より政府がカテゴリーを制定し、人形劇に対して支援を行っていくという方針が打ち出されました。こうしてシステムが整備されたので、より良い条件で仕事ができるようになってきています。ただし、大人向けの人形劇をやる、というのはまだ難しいところもあります。なぜかというと、人形劇は子供のためのものだ、という先入観や偏見があるからです。なので、人形劇とか演劇ではなくて「マンガネット」(漫画とマリオネットを組み合わせた造語)と呼ぶことで、言葉の持つバイアスを越えたいと思っています。そうしたら、15、16歳くらいの子が興味を持ってくれました。少し言葉を変えただけでイメージが広がってきています。

人形劇を始めた経緯
私はパリで育ったんですが、母がよく劇場に連れて行ってくれました。人形劇の素晴らしい作品をいろいろ観ました。それから、大学に入って一年目、実は弁護士になろうと思っていたのですが「人形遣い求ム!」という貼り紙を見て、劇場に行ってみたんです。そうしたら「やったことあるんだよね?」と聞かれたので、もちろん「はい!」と答えました(笑)
「じゃあ3日後、稽古を始めるから来てください」と言われて行ったんです。もちろん主役ではないですよ。だけど、当時のパリの人形劇です。人形が一体25kgくらいの重さなんです。なので、最初はこうやって(注:腕を上に上げている)やっていたんですけど、だんだんこうなってきて、(注:人形の顔が項垂れてくる感じ)ダメになりました。
なので、「やったことないね。明日からちゃんと教えるから来なさい」と言われました。

それにしても、人生というのは不思議なもので、人形のおかげでここまで暮らしてこれたわけですが、長い間これをアートだとは思っていませんでした。アート=ロック!と思ってましたよ。だけど、音楽ではお金にならない。それなのに人形はお金を持ってきてくれる。それでイタリアに行って、人形を創る勉強を続けることにしました。そんなある日、ナポリの大先生が言ったんです。「君のテクニックは非常に面白いから、もっといろんな国のフェスティバルに作品を持って行ったらいい」と。
・・・と言いつつ、その頃は大切な人がフランスにいたので、フランスに帰りました。まぁその彼女と今離婚調停中なわけですが(笑)
なので、今はフランスのボルドーにいますよ。人形だけじゃなくて弁護士さんにも囲まれてます。
フランスに帰ってからは人形劇を作り続けました。そしてだんだんと、君のやってることは面白い、と観客や支援機関が言ってくれるようになったんです。そのおかげで、今の自分があります。カンパニーもきちんと法人化しましたし、一緒に成長しようとする仲間もいます。アーティストとしての人生は、自分だけのものではなくて、他の人たちのものでもあると思っています。人生で、いつか分からないけれども、全てがしっくりくるようになる時がきて、自分に嘘をつかないでいられるようになってきました。

質問2:人形の顔が日本の漫画から着想を得ているとおっしゃっていましたが、特徴は捉えているのに絵画っぽい、私が知っている日本の漫画じゃないぞと思いました。ちょっと怖い印象があるのですが、現地のお客さん(特に子どもたち)はどういう印象を受けるのでしょう?

FF:まず一言付け足しておくと、この人形たちはまだ完成形ではありません。スポンジ状ですが、ここに紙を貼っていったり、まだ作業があります。怖い、ということですが、映画と同じで、感情を揺さぶりたいので、観客に関心を常に持ち続けてもらいたいんです。知的だけれども、全く感情が動かないような演劇によく出会うんですが、もっと原始的な、お腹にズシンと響くような、そういうものを提示したい。なので、ある種スリラーみたいなものを作っているかもしれないですね。
それから、人形の操作を尋常でない速さで行います。これが人形に息を吹き込みます。すでに、関係者と子供達向けに試演会を何度か行っていますが、やっぱりこの人形操作に非常に圧倒されるんですよね。「え??!どうやってやるの?」と知りたがります。子どもたちが驚いている顔を見るのが楽しいわけです。
もちろんおかしなシーンもたくさんあります。変なキャラクターもいます。けれど、いわゆる子供向けの愛嬌がある人形からは大きく飛躍した、人形が人の心を奪い、怖いとか、どきっとするようなものを作ろうとしています。

並河:でも顔は日本的じゃないですよね。

FF:だけど、漫画はかなり西洋を意識していると思うし。

並河:私たちは西洋を意識していて、今西洋は日本を意識しているわけですね。

FF:顔や外見に限らず、何が起きているか、どんな文化現象がどんなダイナミクスのもと起きているのか、ということを探さないといけないと思います。観客を刺激するダイナミクスがきちんと見つかれば、あとは脳みそが勝手に働いてくれます。人は、何事においても意味を求めますから。漫画もそうです。(漫画のページを開いて)ここに2つの絵がありますよね。片方は汗をかいていて、もう一つは、何か点数らしき数字が並んでいます。この人が汗をかいていて、この数字ということは…と、ダイナミクスをこちらが作ってしまえば、あとは観客の想像に任せるだけです。与えられたイメージの中に意味を探し出すということは、歩くのと同じくらい自然な行動です。それは神話や伝説、神様にまつわることも全て、そういうことですよね。私たちの本能と言ってもいいくらい、自然なことです。

アーティスト・トーク ©igaki photo studio


質問3:漫画と漫画を原作にしたアニメは結構似ている部分があるかと思うのですが、最初にアニメではなくて、漫画にフォーカスしたのはなぜでしょう?

漫画家は何もなくても仕事が出来るからです。演劇と同じ、何もないところに何かが生まれる。漫画の絵を見ると、背景もなかったりしますよね。でも読者がないものを想像する。そこが、自分の仕事と似ているところだと思っています。

質問4:漫画を読むときに頭の中でシーンをつなげていったり、この記号がきたら、びっくりしているとか、過去のシーンだとか、読者自身が作品を立体化させるのと同じことが人形劇を観るときにも起こっているということが分かりました。また、最近思う日本の漫画のダークな部分とか、少し破壊的な主人公、影や闇の部分、行き場がないところ、そういう部分がプロトタイプの人形からも感じられて、現代日本の漫画から着想を得たということが腑に落ちました。

FF:最初の感想について、私たちは観客を信じなくてはいけません。彼らの能力を信じること、そして彼らのための場所を創る。誰でも入ってこれるようなオープンな形式を作っておく、ということです。
二つ目の感想についてはその通り。この世界と現実は、残酷で暴力的です。でも、人形には大きな力があります。何かというと、人形は地面から離れることが出来る、ということです。空間にふわふわと浮くことが出来る。神様のようですよね。この宙に浮く感覚というのは観客にも伝わります。劇の中で辛いシーンだったとしても、そのキャラクターがゆっくりと浮遊すると、その瞬間全ての動きがまるで止まったかのようになり、その時、私たちは安堵するんです。ふぅ、と。
先ほども紹介した『Mano Dino』(2019年)という作品は、ちょっとメディテーション効果みたいなものがあるようで、大人の観客もリラックスするみたいなんです。最初の頃はフランスの学校でも上演していました。すると先生たちが「はぁ〜」とリラックスしてるんですよね。そのおかげで、この要素は作品に欠かせないと感じたんです。
アーティストとしてのエゴを持っていくというよりも、その時その時、観客とどんな出会いをするか、彼らとの間に何が起こるかということを大事にしています。漫画家もそうですよね。週刊少年ジャンプにはアンケートがあって、読者が感想を書くことができる。映画の脚本家もそうだと聞きました。脚本を書き上げる前に、必ず色んな人に話をしてみて、どう思うか尋ねながら書き上げていくと。そうやって、作家として自分の作品を創るのだけれども、他の人の話を聞いていると、また違う何かを発見したりする。自分自身も観客になっていくようなプロセスですよね。全てが自分のものではない方が、より心地よく感じます。

質問5:日本にいらっしゃったのは初めてですよね。新作の執筆以外に、日本の人形や漫画のことを調べたり、子ども達とワークショップをされたと思うのですが、今回のレジデンスでどういう刺激を受けられたのでしょう?

FF:じわっと滲み出ていくような感覚…。繊細な感じ…。人と人の距離が敬意を持って保たれていて、それがだんだんじんわりと縮まっていくような、そういう距離感でしょうか。
東京の物凄い現代的な空気から、ほんの少し外に出ると神社やお寺があって、自然と霊性のようなものとの関係が強く感じられます。これは本当に凄いことで、フランスはこうじゃないです。出石のお寺に泊まった夜も素晴らしい時間でした。
6ヶ月前にNYに行ったんです。初めてでしたし、NYへの憧れと期待がありました。でも、全然ダメ!全く何も見つからなかった。あの60年代以降のNYというのは一体どこに行ってしまったんだろう…と。
東京に着くと夜もたくさん人が溢れていて、色んな色、凄い格好の人たち、若者たちがたくさんいました。今、フランスの15歳くらいのティーンエイジャーたちは、80%が漫画を読んでいるし、日本や韓国に住みたいと言うんです。もう、アングロサクソン系への幻想みたいなものはありません。これは信じられない変化だと思います。
劇場がなかなか埋まらないと言っている中、漫画フェスだったり日本文化フェスのようなイベントにいくと、2日間で3万5千人の若者が集まっていたりする。彼らは、吹き替えではなくて、日本語でアニメを見ている。これって凄いことですよね。その彼らが夢中になっている文化を、実際日本に来て生活することで、確かめることができました。そして、人として、他者に対しての配慮や気配りの心、これはフランスにはないものです。

子どもたちとのワークショップ©igaki photo studio


フレデリック・フェリシアーノ
18歳のとき、パリで人形劇の探究を開始し、縫製と彫刻の技術を磨くためにイタリアへ渡る。 その後、フランスを拠点に自身のカンパニー、Le Friiix Clubを設立。さまざまな人形操作法を試したのち、素手を人形に見立てる手法で作品を創作するようになる。 「創作を重ねるにつれ、作った物や人形が剥き出しの状態であればあるほど、その真髄を表し、動きが生み出す詩情や、テキストが持つ想像を掻き立てる力を見せられるようになっていった。人形劇という芸術は、全体のうちの一部分を見せるということと、人間の本質である意味を見出す、という二点の上に成立している。私の作品を観る観客は、知らぬ間に作品の一部を頭の中で補完している。つまり、想像する芸術といえるのかもしれない。」とフレデリックは語っている。
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並河咲耶
イタリア在住。パートナーであるダリオ・モレッティの主宰する子どものための舞台を創るテアトロ・インプロヴィーゾの作品のコーディネート、パフォーマーとしての出演を生業とする傍ら、近年は海外アーティストがよりスムーズかつクリエイティブに日本の文化や観客と出会う機会を創出することにも高い関心を持つ。現場通訳(日伊英)や翻訳なども行う。 中学生になった娘との旅行が最近の楽しみ。