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photo by bozzo

KIACコミュニティプログラム2024
波田野州平「海やまのあいだ」滞在制作リポート
阿部江利

2024.11.11

城崎国際アートセンターでは、3組のアーティストとともに豊岡のさまざまな文化や自然をリサーチし、人々との交流を通して作品創作を行う「KIACコミュニティプログラム」を3年継続プログラムとして実施しています。最終年度となる今年は、3組それぞれの視点と手法で捉えた地域の姿を、テキスト・音楽・映像・写真などのメディアとして保存し、共有と活用の可能性を探るべくアーカイブサイトを制作しています。

2025年1月のアーカイブ完成と報告会に先駆けて、神戸新聞社但馬総局記者・阿部江利さんによる滞在制作リポートを公開します。

阿部さんには、3つのプロジェクトのうちの一つ、「海やまのあいだ」に取り組む映画作家・波田野州平の撮影に記者として同行しながら、その過程で起こったことを記録・執筆いただきました。ぜひご一読ください。
◆◆はじめに◆◆
 城崎国際アートセンター(豊岡市城崎町湯島、KIAC)による「KIACコミュニティプログラム」の一環で、鳥取県出身の映画作家、波田野州平さん(44)=東京都立川市=が2022年から、豊岡市竹野町を題材にしたプロジェクト「海やまのあいだ」の滞在制作に取り組んでいる。
 波田野さんは24年夏もお盆前後に約10日間、同町に滞在。さまざまな集落を訪ねては、聞き取りを重ね、地元住民やその土地で脈々と続く営みにカメラを向けた。映画や芸術作品の制作とは言いながら、歴史を記録する作業であり、文学でもあり、民俗学や社会学の研究のようでもある。3年がかりで新たな作品づくりに挑む、波田野さんの撮影に同行させてもらった。

◆◆波田野さんとは?コミュニティプログラムとは?◆◆
 波田野さんはKIACが22年度より、作家らに3年かけて地域を深掘りしてもらおうと始めた「KIACコミュニティプログラム」で作品制作に取り組む3組のアーティストのうちの1人だ。22年には、ふるさと・鳥取県倉吉市の古老10人への聞き取りを基にした長編ドキュメンタリー作品『私はおぼえている』が、国際映画祭で大賞を受賞した*¹。同センターのレジデンスプログラムとして実施された日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)『オペラ双葉山~竹野の段』滞在制作でも同行者として映画を制作した縁があり、竹野での滞在制作に声がかかったという。
*¹ ジョグジャカルタ国際ドキュメンタリー映画祭2022(インドネシア)にて国際長編部門グランプリ受賞。

KIACコミュニティプログラム参加アーティスト
(左から)太田奈緖美、波田野州平、日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)

◆◆今回の滞在制作の内容は?滞在中はどんな活動をされているの?◆◆
 今回のプロジェクト「海やまのあいだ」の狙いは、「折り重なる土地の時間と、そこに漂うものたちの語る声に耳を傾ける」ことという。波田野さんは夏と秋を中心に10日前後、長ければ2カ月近く、竹野町内に滞在。調査で縁ができた住民宅や地元企業の社宅を拠点に寝泊まりし、南北に長い町内の各地に出かけては、調査や収録を重ねてきた。
 初年度は地元の名勝や地区コミュニティセンターを巡り、竹野川を始点から河口まで自転車で走破。2年目からは盆行事や風習、言い伝えなどに焦点を当て、調査や撮影を続けてきた。
 一方で、22年度からの滞在期間は、新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大にも重なっていた。竹野地域でも新型コロナウイルス禍の影響は濃く、文化・伝統行事も大きな影響を受けている。調査期間中に途絶えてしまった行事、今にも途絶えそうだが何とか持ちこたえている行事も目立っている。
 23年11月には、中間報告を兼ね、中竹野地区コミュニティセンター(同市竹野町轟)で、 「海やまの宴」と題した上映会を開いた。住民らに手作り料理などを振る舞う同地区の「ふれあい居酒屋」とコラボレーション。同センター内に特設上映会場をしつらえ、23年夏に撮影した竹野町内11カ所の盆行事の映像を披露した。大画面に顔なじみが映るたび、あちこちから「○○さんや」と声が上がり、それぞれ昔話や近況報告などで盛り上がった。

KIACコミュニティプログラム×中竹野ふれあい居酒屋 波田野州平「海やまの宴」(2023)

 今年8月の滞在では、再撮影も含め、満願寺の盆踊り(坊岡)▽田久日の盆踊り(田久日)▽古代太鼓踊り(轟)▽仏送り(同)▽ダブセ(土葬墓群)の墓参り(三原)▽神原の数珠繰り(森本)―などを訪問。踊りや風習そのものだけでなく、準備する人たちの様子や世間話、まちの景色などにもじっくりとカメラを向け、住民と和やかに会話をしながら取材を重ねた。また、今年は住民からKIACに「地元の行事を絶やさず続けていくためのヒントを、他の地域から学びたいので、映像を観たい」という声が届いた。波田野さんは編集途中の作品を手に西町地区(竹野)の公民館を訪問し、地域差や共通点などについて語り合った。

◆◆波田野さんの思いは?◆◆
 今回の作品制作について、波田野さんは「好奇心のままにカメラを回している」と笑い、「人にほれて撮っているなと強く思う」とも語る。有名な誰かではなく、その土地に生きる人々の姿を撮る。盆行事を撮ろうと思ったのは、土地と人、人と人との関わりが色濃く出る時期だと感じるからだ。「川が海に流れ、山もあるこの土地に生きる人たちの心が、どう育まれているのかを深く知りたいと思った」と説明する。
 ある撮影は、「カメラを回しながら、ずっと鳥肌が立っていて、ずっと泣きそうだった。風が吹き抜けていて、みんなが優しくて、至福の時間で、ずっと撮り続けていたいとも思った」と振り返る。
 一方で、3年間の成果をどう作品に仕上げるか、自身も「まだゴールが見えていないんです」と笑う。「研究者のように事実を調べることはできないが、映画のだいご味は、今を生きる人たちの思いや場の空気、ロジックではない記憶を伝えられること。自分が撮ったものが、地域の何かになればうれしい」と話す。

小城の仏送り(2024年8月16日) photo by bozzo

◆◆各地でどんなリサーチをしたの◆◆
【8月9日 西町公民館(竹野町竹野)】
 海に面した地域では唯一、数珠繰りを続けているという西町地区。波田野さんはKIAC職員の與田千菜美さんらと公民館を訪れ、地元の宇川孝功さん(69)に他地域の数珠繰りの映像を披露した。数珠を回すときに唱える「なんまいだぶつ」のリズムの違い、回す方向、地域ごとの宗派や作法の違いなどをあれこれと語り合った。
 会話の中では「なぜ数珠は時計と反対回りなのか?」の話題もあがり、宇川さんが「葬連道や土葬の時にひつぎを回す方向と同じ」と指摘。宇川さんの案内で実際に墓地も見て回った。波田野さんとの交流を振り返り、宇川さんは「数珠繰りがあるのは浜地区だけだと思っていたが、内陸の地域にもあること、地域に根ざした行事だということが分かった。子どもも参加できるようにしたりして、地道に続けていきたいという思いを強くした」と話す。

【8月13日午後8時、満願寺(竹野町坊岡)】
 満願寺の境内に檀家ら10人ほどが集まり、盆踊りの準備が始まる。住民らは、地元の「ヤチャ踊り保存会」が生演奏を披露する中、本堂からこぼれる明かりを頼りに、暗闇の中で輪を描く。休憩中には、地元の女性らが波田野さんに「何でこんな人が少ないとこ撮ってくれなるん?」「東京の上映会で評判になったんだって」などと笑って話しかける。波田野さんはカメラを回し、踊りの輪にも加わった。
 坊岡区の門田徳次区長(66)は「昔は境内がみっしりと埋まるくらい住民が集まっていた」と懐かしみ、「盆踊りは、先祖に元気に踊る姿を見せるのが目的と聞いている。この歴史を是非とも次代に残したいと思っている」と語る。

満願寺盆踊り(2024年8月13日) photo by bozzo

【8月14日午前8時、田久日地区(竹野町田久日)】
 海に川が注ぐ谷間にある田久日地区には現在、25世帯66人が暮らす。漁港前に接した広場が盆踊りの会場で、早朝から住民約20人が集まり、海を背景にやぐらを立て始めた。
 新型コロナウイルス感染症と台風の影響で20年から中止が続き、開催は5年ぶりだ。やぐらが組み上がり、提灯をぶら下げる作業が始まると、撮影をしていたはずの波田野さんと同行写真家bozzoさんが、いつの間にか作業に混ざっていた。会場には、波田野さんが託されてきた竹野町内の書家直筆の書「田久日盆踊り」も貼り付けられた。

櫓建ての様子(2024年8月14日) photo by bozzo

 14日午後7時、夕暮れとともに、盆踊りが始まる。太鼓に合わせ、歌い手の高齢男性がマイクを握り、田久日の魅力を盛り込んだ盆唄を高らかに歌い上げる。「あなたも私も田久日の育ち 人情豊かで親切で」「平家ご家衆の流れを受けた 由緒正しいわれらの田久日」「ソラ ヤットセー ヨーイヤナー」―。
 普段は25世帯の同地区だが、日が暮れるほどに続々と人が集まり、やぐらを囲む輪が大きくなった。コロナ前には二人いたという歌い手は、今年は男性一人だけになった。途中で録音に切り替える話もあったが、男性は最後まで歌いきった。同地区に嫁いで半世紀という70代女性は「うちの祖父も夫も(盆唄を)歌っていた。誰でもいいというわけにはいかないけど、やっぱり生でないと。これが本物だから」と目を細める。一方で、「今日はにぎやかでいいのだけど、そろそろ(開催は最後)かなあという思いもある。これが続けられるかどうか。大変は大変だけど、やめるとなるとちょっとさみしい」とも明かす。例年、盆が過ぎると海が荒れてきて、次第に「まっすぐ立って進めない」という日本海の冬が近づいてくるという。
 海のそばでは、子どもたちが配られたばかりの花火を始めた。煙がもうもうと立ちこめる先で、波田野さんはじっとカメラを回していた。

田久日の盆踊り(2024年8月14日) photo by bozzo

【8月15日午前6時、轟地区(竹野町轟)】
 朝もやの中、竹野川にかかる橋の下で、近くの笹山義仁さん(76)が仏送りの石積みを作っていた。川の石を鍬ですくっては、石積みを整える笹山さんを波田野さんが撮り、その二人をさらにbozzoさんが撮影している。川の音だけが響く。
 同日午後5時半ごろ、笹山さんは仏を送りに再び河原に来て、波田野さんに「10年ほど前までは、ようけ並んでましたんや」と解説する。「よその家のより、前へ前へ(突堤部分を)出すようにしてね」。供え物で川が汚れるからとやめてしまい、最近は特に見かけなくなったという。

轟の仏送り(2024年8月15日) photo by bozzo

【8月15日午前8時、三原地区(竹野町三原)】
 竹野町の山奥、川の源流の一つでもある三原地区を訪ね、地元の銅々どうどう尺王せきおさん(73)らの案内で「ダブセ」を回る。同地区では長く「詣り墓」「埋め墓」の両墓制がとられた。30年前、土葬を望んだという高齢女性が最後に土葬された故人だという。
 どこもきれいに草刈りされ、葉に乗せた団子や刻みキュウリ、花が供えられている。銅々さんが「夏場は草がすぐ茂るから、いつ掃除するかも大事。1軒掃除をしたら、みんなつられてきれいにするんです」と笑いながら説明する。自分の一族だけでなく、葬列に参加してひつぎを担いだという故人のことも思い出し、墓のそばで「若くして亡くなったんだけど、(交友関係が広く)それはものすごい数の人が参列してね」と語る。一帯には大量の石積みが見えるが、埋もれてしまったものも多く、数は分からないという。
 帰り際には墓参りに訪れた家族があり、波田野さんは撮影を依頼。またカメラを回した。

三原のダブセ(2024年8月15日) photo by bozzo

【8月16日午後2時、神原地区(竹野町森本)】
 神原地区の地蔵堂であった数珠繰りには、地元の70~80代女性7人が集まった。波田野さんは昨年に続き2回目の来訪で、今年は女性らの誘いを受け、自らも数珠繰りの輪に入った。「男が入ってもいいんですかね」とおそるおそる聞く波田野さんに、女性たちは「これくらい人が来たらええねえ」「今はもう、そういうの関係ないんです」「そういう時代です」「時代は変わります」と口々に返し、楽しげな笑いが起こる。
 線香が燃えている間、ずっと「なむあみだーぶつ」と声を出しながら、みんなで数珠を回すのが同地区のスタイル。数珠の束で肩をずしりと叩いてもらうのが仕上げで、波田野さんら取材チームもそれぞれ肩を叩いてもらった後、供え物のきなこ団子を振る舞われた。
 女性らによると、かつては当番の住民が地蔵を預かり、預かった家に集まって数珠繰りをする習わしだったという。地蔵堂ができてからは会場が固定されたが、女性らは「私のおばあさんのころから、ずっと続けていたと聞いています」などと解説する。
 昨秋の上映会「海やまの宴」にも参加したという伊賀いよ子さん(75)は、波田野さんや作品を「すっと地域に入ってこられ、ずっと守り続けてきたものを見てくれた」と評する。「自分が写ればちょっと照れくさいような気分だし、『今のは知った人だわ』という場面もある一方、同じ町内でも全然知らない行事もあった。映像を見て、みんなで『この映像ほしいね』と言い合ったんです」と振り返る。

神原の数珠繰り(2024年8月16日) photo by bozzo

◆◆改めて、コミュニティプログラムとは何か◆◆
 「海やまの宴」や滞在制作を見ていると、波田野さんの来訪や呼びかけに応じて、竹野の人たち、遠い昔から地域を作ってきた人たちが、まるで「私はここにいるぞ」と叫んでいるような、不思議な感覚にずっととらわれた。現在の竹野の人や景色を見ていながら、それとは違う、別の風景を何枚も同時に見ているような感じだ。
 そして、今日をここで生きている人たちのかけがえのなさを改めて思った。波田野さんがカメラを向ける先を見ると、地域で大事に引き継がれてきた歴史やなりわいに、どれだけの美しさや尊さがあったかが浮かび上がってくる。誰ひとりとして欠けていい人はいなかったし、記者として、取材者としても、普段通り過ぎている風景のひとつひとつに、どれほどの奥深さがあったのかを、改めて実感させられた。竹野があって、竹野に生きる人たちがいて、KIACがあって、波田野さんが来て、ここから何が生まれるのだろうかと、楽しみで仕方ない。
 今回、撮影に同行した期間はわずかだが、大勢の人たちがさまざまな形で滞在を支えていた。「海やまのあいだ」の記録撮影を続ける写真家bozzoさんと歩さん夫婦、波田野さんが撮影する行事名をポスターにしたためているという書家の大部敏行さん、宿泊や町内の移動、撮影補助などで支える小林琢也さんと真弓さん夫婦-。地域や人に対する波田野さんのあたたかな視点、滞在を支える人たちとのつながりの強さを、行く先々で感じた。

三原での取材風景(2024年8月15日) photo by bozzo

 KIACのスタッフの関わりも不可欠だった。同センター館長の志賀玲子さんも、「海やまの宴」では住民と同化して会場でおでんを配っていたし、波田野さんの撮影現場にも足を運び、踊りの輪に加わりもした。志賀さんは「地域の皆さんにとっては当たり前で特別に思わないこと、もともと地域にあるものの中にこそ、いいものがある」と強調する。「地元の皆さんも、温かくアーティストを迎え入れてくださる。地域をリサーチすることから生まれる、新しい作品制作の形を探っているところです」と説明する。

 滞在全体のコーディネートは、竹野出身のKIACスタッフ與田千菜美さん(31)が担当。取材ができるよう地元住民らと調整をするだけでなく、波田野さんと一緒に住民の話に耳を傾けたり、一緒に盆踊りに加わったり、自転車に乗って映像に出演もしたりと何役もこなした。地元で生まれ育った住民でもあり、制作スタッフの一員でもある與田さん。コミュニティプログラムに取り組む中で、「同じ竹野町の中でも、少しエリアが違うだけで受け継がれてきた暮らしや文化が異なり、そこには見えない背景や文脈、境界があることが分かってきた」と話す。
 KIACで滞在制作をするアーティストは宿泊先のKIACから各地に通うケースが多いが、波田野さんは滞在2年目にはKIACを出て、24時間全てを竹野地域で過ごす濃密な滞在を経験している。地域とアーティストの間に、KIACの枠組みを超えた多様な関係性が生まれ、プロジェクト全体にアクセルがかかったという。
 與田さんは、プログラムの3年間を「アーティストだからこそ、外部・よそ者だからこその自由な視点と、関係性が深まるにつれて次第に見えてくる、地域それぞれの文脈の間を行ったり来たりしながら、今何を残すべきかを考える時間でした」と振り返り、「『海やまのあいだ』で残された記録が、未来の誰かに手渡されていくといいなと思います」と期待を込める。

仏送りの川辺にて(2024年8月15日) photo by bozzo


阿部江利
2008年神戸新聞社に入社。 経済部、丹波総局、社会部(現・報道部)を経て、 2017年から但馬総局。 2児の母。育児時短で勤務中。