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photo by bozo

発酵する記憶、移動する食─『クルージング:旅する舌たち』を味わう前に
吉田雄一郎

2025.10.10

2025年4-5月に城崎国際アートセンターで滞在制作行い、同年10月にKYOTO EXPERIMENT(KEX)のプログラムとしてロームシアター京都にて上演される、Jang-Chi × 李 銘宸(リー・ミンチェン)× ネス・ロケ × 温 又柔『クルージング:旅する舌たち』のプレビュー記事を当センターのプログラムディレクター・吉田雄一郎が執筆しています。
1 「ふなずし」が導くクルーズ

唐突ですが、みなさんは「ふなずし」を食べたことはありますか? 食べたことはなくても、それがどんな料理で、どういった方法で調理されるかイメージできるでしょうか?
私は今年になるまで「ふなずし」について、ほとんど何の知識も持っていなかった。恥ずかしながら、名前を聞いても「さば寿司」のようなものだろうと想像していたくらいだ。
「ふなずし」とは、滋賀県の郷土料理で、琵琶湖に生息するニゴロブナを塩漬けにし、ご飯と一緒に長期間発酵させて作られる。強い酸味と独特の香りを持ち、現代の寿司の原型とも言われる「なれずし」の一種だ。
今年の夏、私は琵琶湖汽船が主催する「鮒ずし作り体験クルーズ」なる催しに参加し、琵琶湖に浮かぶ有人島・沖島にて、その工程の一部を体験させてもらった。あらかじめ塩漬けにされたニゴロブナを参加者全員でひたすらに磨いて鱗や内臓を取り除き、陰干ししたのち、米と一緒に桶に敷き詰めて蓋をする。約半年後、発酵した「ふなずし」を自宅まで届けてもらえる。
調べてみると、魚を米と塩で発酵させる食文化は東南アジアに広く存在しており、「なれずし・ふなずし」もその系譜に連なるとされる。つまり、今日、私たちが食べている寿司は、ルーツをたどると東南アジアからやってきた発酵文化の一形態とも言えるだろう。寿司が世界各地に渡ってカリフォルニアロールやヴィーガン寿司、寿司バーガーなどへと派生していったように、食文化は移動し、翻訳され、変容を重ねていく。食とは、地域や時代を超えて旅を続ける流動的な文化的実践なのだ。

琵琶湖汽船株式会社「鮒ずし作り体験クルーズ」の様子(2025年7月)

2 食が呼び覚ます記憶

『クルージング:旅する舌たち』の参加アーティストの一人、フィリピン出身のネス・ロケはパフォーマンスの中で自身の思い出を語る。故郷に戻ると必ず母親が作ってくれるフィリピンの家庭料理ブロ(Buro)について。魚(やエビなどの海産物)を米と塩で漬け込んで発酵させるこの料理は、ロケの故郷パンパンガ州など、ルソン島中部で親しまれている。彼女は今作のためのリサーチで、「ブロ」と「ふなずし」との間に共通性を見出し、実際に滋賀県を訪れ、「ふなずし」を食べてみたそうだ。
舞台上ではロケと共に参加アーティストのJan-Chi、李銘宸の3人が何やら調理をしながら、軽妙なやり取りを交わし、食にまつわるエピソードをさまざまな言語で物語る。そこに柔らかな声で語られる温又柔のテキスト(小説)が重なり、上演は進行していく。
食べ物は個人的な記憶や思い出を喚起するだけでなく、文化や経済、政治、歴史といった多層的な文脈をも内包している。たとえばチョコレートはカカオの原産地である中南米を起点に、スペインによるメキシコ支配を経てヨーロッパへもたらされている。フィリピンではスペイン植民地時代にカカオが伝来し、台湾では日本統治下でチョコレートが普及した歴史を持つ。あるいは私たちは日々スーパーに並ぶ米や野菜、魚や肉の値段や産地を通して、世界の経済や気候、国際情勢に知らず知らずに触れている。
パフォーマンス中、アーティストたちの語る話題は、チゲやサムゲタンといった韓国料理、在日コリアンや台湾人の名前の響き、台湾茶や紅茶文化、家族との思い出など、アジアの国々を旅するように展開していく。やがて、さまざまな匂いが混じり合い、味覚と記憶、言語と文化が交錯する不思議な料理が出来上がっていく……

城崎国際アートセンター(KIAC)でのワーク・イン・プログレスの様子(2025年5月) Photo by bozzo

3 アジアの食文化からフェスティバルをまなざす

ところで、このプロジェクトは台北アーツフェスティバルが企画するリサーチ・レジデンシー・プログラム「クルージング(Cruising)」の一環として、KYOTO EXPERIMENTのディレクターチームをゲストキュレーターに迎えて展開されている。2024年の京都と台北でのリサーチ、25年春の城崎でのクリエーション、そして同年9月の台北での初演を経て、10月に京都で上演される。
KYOTO EXPERIMENTは近年、アジア圏との協働に力を入れており、今回のプロジェクトも台北パフォーミングアーツセンターと国際交流基金との三者による共同製作を背景に成立している。参加アーティストは、いずれも異なる言語的・文化的背景をもち、領域や国境を横断して活動を展開している4名だ。
このようなキュレーションには、アジアの視点からフェスティバルの構造を再編し、新たな対話と循環の回路を生み出そうとする狙いが感じ取れる。
もちろん、その結果として生まれる作品や公演が狙い通りの成果をもたらすかは未知数ではある。しかしこのような試みこそ、「実験(Experiment)」をその名に冠するフェスティバルにふさわしい。それにフェスティバルの役割というのは、上演される作品自体の成否だけにとどまらない。そこに集う観客やコミュニティ、アーティストらとの新たな交流や関係を生み出すことにもあるはずだ。城崎国際アートセンター(KIAC)でのワーク・イン・プログレス後に、多くの観客が舞台に近づき、出来上がった料理を口にしながら会話する様子はそのことを象徴している。そう言えば、KIAC滞在期間中、劇場からも、ダイニングからも、もちろんキッチンからも、クリエーションメンバーたちの笑い声とお喋りは絶えることがなかった。

城崎国際アートセンター(KIAC)でのワーク・イン・プログレス後の会場の様子(2025年5月) Photo by bozzo

4 発酵する作品を待つ

この夏に私たちが仕込んだ「ふなずし」は、約半年の発酵期間を経て、冬に手元に届くことになっている。発酵はうまく進んでいるだろうか。結果は文字通り蓋を開けてみないことには分からない。たとえうまくいっていたとしても、その味を気に入るという保証もない。
KIACでの滞在制作から約半年、『クルージング:旅する舌たち』は台湾での初演を経て、京都で上演される。あくまで私が立ち会ったのは、創作プロセスの一断面にすぎない。その後どのように熟成し、最終的な作品として仕上がっているかは知る由もない。それでも私は未知の味わいを楽しみに京都へ向かうだろう。
この作品の「味」があなたの口に合うかどうか、私にはわからない。けれど、食べ終わった後で誰かと話をしてみたくなる作品であることは確かだと思う。上演の経験そのものが、観客に思考や対話を促す発酵の契機となるだろう。


Jang-Chi × 李 銘宸(リー・ミンチェン)× ネス・ロケ × 温 又柔
『クルージング:旅する舌たち』

https://kyoto-ex.jp/program/traveling-tongues/
 10月24日(金)19:00
 10月25日(土)15:00
 10月26日(日)15:00
 ロームシアター京都 ノースホール



吉田雄一郎
城崎国際アートセンター(KIAC) プログラムディレクター 1979年生まれ。大学卒業後、都内のレジデンスや舞台芸術祭などにて、制作/コーディネーターとして勤務。2015年から兵庫県豊岡市のレジデンス施設・城崎国際アートセンターにて、滞在アーティストの選定、創作活動や地域交流の支援に携わっている。一般社団法人POST代表理事