ARTICLES記事
「オペラ双葉山」~竹野からの船出
松田哲博(元大相撲力士・一ノ矢/相撲探求家)
2021.2.1
日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)
『オペラ双葉山~竹野の段』
滞在期間:2020年9月28日(月)- 10月12日(月)
成果発表コンサート
日時:10月11日(日)14:00/会場:竹野子ども体験村
作曲・出演・演出:鶴見幸代、野村 誠、樅山智子(日本相撲聞芸術作曲家協議会)
出演:小川和代(日本センチュリー交響楽団│ヴァイオリン)
朗読:里村真理(日本相撲聞芸術作曲家協議会 世話人)
コントラバス演奏(録音):四戸香那
特別協力:松田哲博(元・一ノ矢)
映像撮影:波田野州平
主催・製作:城崎国際アートセンター(豊岡市)
協力:たけの観光協会、竹野子ども体験村
助成:令和2年度 文化庁 文化芸術創造拠点形成事業
『オペラ双葉山~竹野の段』
滞在期間:2020年9月28日(月)- 10月12日(月)
成果発表コンサート
日時:10月11日(日)14:00/会場:竹野子ども体験村
作曲・出演・演出:鶴見幸代、野村 誠、樅山智子(日本相撲聞芸術作曲家協議会)
出演:小川和代(日本センチュリー交響楽団│ヴァイオリン)
朗読:里村真理(日本相撲聞芸術作曲家協議会 世話人)
コントラバス演奏(録音):四戸香那
特別協力:松田哲博(元・一ノ矢)
映像撮影:波田野州平
主催・製作:城崎国際アートセンター(豊岡市)
協力:たけの観光協会、竹野子ども体験村
助成:令和2年度 文化庁 文化芸術創造拠点形成事業
竹野小学校の子どもたちとの交流
JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)の3人(鶴見幸代、野村誠、樅山智子)が楽器を奏でながら小学校に入っていくと「あ、ビデオレターの人たちだ!」と子どもたちが目を輝かせながら集まってきました。子どもたちは手を揉み合わせながら体を上下させる動作を嬉しそうに繰り返します。JACSHAが創作した「竹野相撲甚句体操」の動きです。
日本海に面した兵庫県豊岡市竹野は、江戸期には北前船で賑わい、秋田から伝わった甚句と相撲甚句が混合して独特な竹野相撲甚句が生まれました。以前は、本格的な化粧回しを締めて何人かで唄っていたそうですが、高齢化がすすみ後継者がいなくなってしまいました。そんな折、保存会会員の甥である與田政則さんがJACSHAと知り合ったことから、竹野小学校の金管バトンクラブにつながったのです。
コロナ禍で直接の交流こそ叶いませんでしたが、オンラインワークショップを行い、2年生の子どもたちとは、対面で相撲体操教室とワークショップを行うこともできました。竹野小学校はもともと、全校児童で学年別に相撲大会を行うほど熱心に相撲に取り組んでいます。
6年生の女の子が水入り大相撲
竹野で生まれ育ったわかなさんは、小さい頃よく兄弟げんかをしていたといいます。相撲の対戦相手をお兄ちゃんだと思ってぶつかっていったところ、4年生でも5年生でも女子の部で優勝したそうです。しかし6年生の決勝時には、5分余りに及ぶ水入りの大相撲を取ったものの、敗れてしまいました。負けて悔しいのは当然ですが、負けた相手に慰められ、口惜しさがよけいに溢れ出て泣いてしまったことを赤裸々に語ってくれました。
相撲大会は毎年、浜にロープで円を描いて土俵をつくり、男女学年別に全校生徒が参加して行われます。親御さんらも大勢見守り、ときに勝負判定に抗議する方もいるほどで、竹野小学校の相撲大会は町を挙げてのお祭りのような存在になっているようです。
昔は、全国津々浦々の学校や神社にあった土俵で相撲大会が行われていましたし、子どもたちの遊びの中にも相撲がありました。ところが学校や神社の土俵は次第に姿を消し、子どもたちが相撲を取って遊ぶ光景も目にすることがなくなりました。そんな中、今でも全校生徒が男女問わずに相撲大会を行っているのは稀有なことといえ
ます。
竹野の町で出会いが生まれてゆく
竹野は美しい海と山に囲まれた自然豊かな町です。町中を歩くと細い路地や伝統的な焼杉板の壁、突然路地の向こうに広がる海に出会い、江戸時代から続いているように感じられる風情豊かな町並みに心が落ち着きます。
JACSHAと浜に出て四股を踏んでいると、散歩中の準ちゃんに遭遇しました。準ちゃんは、竹野相撲甚句を今に引き継ぐ89歳のレジェンドで濱邊準之助さんといいます。浜辺で準ちゃんの竹野相撲甚句と私の相撲甚句を競演する機会に恵まれたのは思いがけないことでした。
JACSHAと一緒に活動しているバイオリニストの小川和代さんは、お母さんが竹野の生まれで、自身も小さい頃に一度訪れたことがあるそうです。町を散策していると、小川さんのお母さんが暮らしていた家が見つかり、ご近所の方が当時の思い出を懐かしそうにお話しされる場面にも出会いました。
「オペラ双葉山~竹野の段」の制作で竹野の町や人々と関わっていくと、まるで何かに引き寄せられるかのように驚くような出会いや結びつきが生まれていきました。
城崎国際アートセンターから「オペラ双葉山」が始まる
私は、子どもの頃からの夢だった相撲界に飛び込んで、現役力士として24年、高砂部屋マネージャーとして13年、相撲の奥深さに魅入られ、相撲を探求し続けてきました。四股について、テッポウについて、仕切りについて、相撲の取り方について……相撲の様々なことを探求していくと、その先には必ず双葉山の姿があります。私にとって「双葉山」という言葉は、69連勝を成し遂げた、あの偉大な横綱を指す単なる固有名詞ではなく“相撲の神髄”と同義語です。
相撲好きの作曲家ユニットであるJACSHAと出会ったのが約10年前。ワークショップなどの共演を通じて交流を深める中で、ことあるごとに双葉山の素晴らしさを語ってきました。彼らも、双葉山には作曲の神髄に通ずるものがあると感じてくれたようで、いつしか「オペラ双葉山」の構想が生まれました。構想は生まれたものの、どう取り組んでいくか暗中模索していた中、JACSHAが2018年に城崎国際アートセンターでの滞在制作の機会を得て、竹野相撲甚句と出会い、竹野の人々と出会い、竹野と相撲の関わり合いを知ることになったのです。
竹野の人々の想い、双葉山の想い
與田さんの「竹野相撲甚句を残していきたい」という想い、わかなさんが全力でぶつかり5分余りの水入り大相撲を取った想い、竹野小
学校の相撲大会に参加する全校生徒やそれを見守る保護者たちの想い……。竹野の町には相撲に対する純粋な想いが溢れています。
その想いが当たり前のものとして日常のなかに溶け込んでいます。
双葉山は、69連勝という記録があまりにも有名ですが、勝ち負けにこだわることなく淡々と相撲を取り切ったことに双葉山の一番の素晴らしさがあると私は思っています。相撲評論家の小坂秀二氏は、著書で「双葉山の求めたものは、相手から得られる勝利でもなく、まして観客の称賛でもなかった。また、単なる相撲技の習熟、完成というものでもなかった」と述べ、「道を求めるとか、相撲道を極めるとか言うと、そこに突き詰めた求道者の姿を描きがちであるが、双葉山の日常、その土俵は真剣でこそあれ、窮屈な束縛されたものではなかった。あくまで明るく、闊達で、見るものはそれを楽しみ、かつ見終わると身の引き締まるのを覚えるという感じのものであった」と語っています。
相撲と音楽の神髄を探る果てしない旅
様々な活動を通してJACSHAの皆さんと関わっているうちに、音楽の素人である私にとって「オペラ」という響きは、音楽の神髄のように聞こえてきて、いつしか「オペラ」と「双葉山」が自然に結びつくようになりました。JACSHAが竹野の人々と昔からの馴染みのように親しくなり、竹野の日常から様々な音を聞き拾い、それを子どもたちとつなげ、子ども体験村での成果発表コンサートで115名もの観客が「オペラ双葉山~竹野の段」を楽しんでくださったことは、双葉山が目指した相撲道に相通ずるように感じます。派手な投げ技や絶対に負けないという勝負への執念、華やかな舞台はもちろん素晴らしく感動を与えるものですが、日常のごく当たり前の中にこそ神髄があることを双葉山の土俵は教えてくれます。
かつて北前船が秋田や蝦夷と西日本各地をつないだことで、甚句のほか、昆布だし、綿織物など、様々な文化が生まれました。「オペラ双葉山」は今回、北前船の寄港地であった竹野から帆を上げ、船出しました。それは、相撲と音楽の神髄を探る旅ですから、波任せ風任せで、順風満帆とはいくはずもなく、いろいろな港に立ち寄りながらのんびり果てしなく続きます。だからこそ期待される思いがけない出会いや発見、そしてどんな展望が開けるのか、様々な可能性を秘めた旅になっていきそうで、とても楽しみです。
JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)の3人(鶴見幸代、野村誠、樅山智子)が楽器を奏でながら小学校に入っていくと「あ、ビデオレターの人たちだ!」と子どもたちが目を輝かせながら集まってきました。子どもたちは手を揉み合わせながら体を上下させる動作を嬉しそうに繰り返します。JACSHAが創作した「竹野相撲甚句体操」の動きです。
日本海に面した兵庫県豊岡市竹野は、江戸期には北前船で賑わい、秋田から伝わった甚句と相撲甚句が混合して独特な竹野相撲甚句が生まれました。以前は、本格的な化粧回しを締めて何人かで唄っていたそうですが、高齢化がすすみ後継者がいなくなってしまいました。そんな折、保存会会員の甥である與田政則さんがJACSHAと知り合ったことから、竹野小学校の金管バトンクラブにつながったのです。
コロナ禍で直接の交流こそ叶いませんでしたが、オンラインワークショップを行い、2年生の子どもたちとは、対面で相撲体操教室とワークショップを行うこともできました。竹野小学校はもともと、全校児童で学年別に相撲大会を行うほど熱心に相撲に取り組んでいます。
6年生の女の子が水入り大相撲
竹野で生まれ育ったわかなさんは、小さい頃よく兄弟げんかをしていたといいます。相撲の対戦相手をお兄ちゃんだと思ってぶつかっていったところ、4年生でも5年生でも女子の部で優勝したそうです。しかし6年生の決勝時には、5分余りに及ぶ水入りの大相撲を取ったものの、敗れてしまいました。負けて悔しいのは当然ですが、負けた相手に慰められ、口惜しさがよけいに溢れ出て泣いてしまったことを赤裸々に語ってくれました。
相撲大会は毎年、浜にロープで円を描いて土俵をつくり、男女学年別に全校生徒が参加して行われます。親御さんらも大勢見守り、ときに勝負判定に抗議する方もいるほどで、竹野小学校の相撲大会は町を挙げてのお祭りのような存在になっているようです。
昔は、全国津々浦々の学校や神社にあった土俵で相撲大会が行われていましたし、子どもたちの遊びの中にも相撲がありました。ところが学校や神社の土俵は次第に姿を消し、子どもたちが相撲を取って遊ぶ光景も目にすることがなくなりました。そんな中、今でも全校生徒が男女問わずに相撲大会を行っているのは稀有なことといえ
ます。
竹野の町で出会いが生まれてゆく
竹野は美しい海と山に囲まれた自然豊かな町です。町中を歩くと細い路地や伝統的な焼杉板の壁、突然路地の向こうに広がる海に出会い、江戸時代から続いているように感じられる風情豊かな町並みに心が落ち着きます。
JACSHAと浜に出て四股を踏んでいると、散歩中の準ちゃんに遭遇しました。準ちゃんは、竹野相撲甚句を今に引き継ぐ89歳のレジェンドで濱邊準之助さんといいます。浜辺で準ちゃんの竹野相撲甚句と私の相撲甚句を競演する機会に恵まれたのは思いがけないことでした。
JACSHAと一緒に活動しているバイオリニストの小川和代さんは、お母さんが竹野の生まれで、自身も小さい頃に一度訪れたことがあるそうです。町を散策していると、小川さんのお母さんが暮らしていた家が見つかり、ご近所の方が当時の思い出を懐かしそうにお話しされる場面にも出会いました。
「オペラ双葉山~竹野の段」の制作で竹野の町や人々と関わっていくと、まるで何かに引き寄せられるかのように驚くような出会いや結びつきが生まれていきました。
城崎国際アートセンターから「オペラ双葉山」が始まる
私は、子どもの頃からの夢だった相撲界に飛び込んで、現役力士として24年、高砂部屋マネージャーとして13年、相撲の奥深さに魅入られ、相撲を探求し続けてきました。四股について、テッポウについて、仕切りについて、相撲の取り方について……相撲の様々なことを探求していくと、その先には必ず双葉山の姿があります。私にとって「双葉山」という言葉は、69連勝を成し遂げた、あの偉大な横綱を指す単なる固有名詞ではなく“相撲の神髄”と同義語です。
相撲好きの作曲家ユニットであるJACSHAと出会ったのが約10年前。ワークショップなどの共演を通じて交流を深める中で、ことあるごとに双葉山の素晴らしさを語ってきました。彼らも、双葉山には作曲の神髄に通ずるものがあると感じてくれたようで、いつしか「オペラ双葉山」の構想が生まれました。構想は生まれたものの、どう取り組んでいくか暗中模索していた中、JACSHAが2018年に城崎国際アートセンターでの滞在制作の機会を得て、竹野相撲甚句と出会い、竹野の人々と出会い、竹野と相撲の関わり合いを知ることになったのです。
竹野の人々の想い、双葉山の想い
與田さんの「竹野相撲甚句を残していきたい」という想い、わかなさんが全力でぶつかり5分余りの水入り大相撲を取った想い、竹野小
学校の相撲大会に参加する全校生徒やそれを見守る保護者たちの想い……。竹野の町には相撲に対する純粋な想いが溢れています。
その想いが当たり前のものとして日常のなかに溶け込んでいます。
双葉山は、69連勝という記録があまりにも有名ですが、勝ち負けにこだわることなく淡々と相撲を取り切ったことに双葉山の一番の素晴らしさがあると私は思っています。相撲評論家の小坂秀二氏は、著書で「双葉山の求めたものは、相手から得られる勝利でもなく、まして観客の称賛でもなかった。また、単なる相撲技の習熟、完成というものでもなかった」と述べ、「道を求めるとか、相撲道を極めるとか言うと、そこに突き詰めた求道者の姿を描きがちであるが、双葉山の日常、その土俵は真剣でこそあれ、窮屈な束縛されたものではなかった。あくまで明るく、闊達で、見るものはそれを楽しみ、かつ見終わると身の引き締まるのを覚えるという感じのものであった」と語っています。
相撲と音楽の神髄を探る果てしない旅
様々な活動を通してJACSHAの皆さんと関わっているうちに、音楽の素人である私にとって「オペラ」という響きは、音楽の神髄のように聞こえてきて、いつしか「オペラ」と「双葉山」が自然に結びつくようになりました。JACSHAが竹野の人々と昔からの馴染みのように親しくなり、竹野の日常から様々な音を聞き拾い、それを子どもたちとつなげ、子ども体験村での成果発表コンサートで115名もの観客が「オペラ双葉山~竹野の段」を楽しんでくださったことは、双葉山が目指した相撲道に相通ずるように感じます。派手な投げ技や絶対に負けないという勝負への執念、華やかな舞台はもちろん素晴らしく感動を与えるものですが、日常のごく当たり前の中にこそ神髄があることを双葉山の土俵は教えてくれます。
かつて北前船が秋田や蝦夷と西日本各地をつないだことで、甚句のほか、昆布だし、綿織物など、様々な文化が生まれました。「オペラ双葉山」は今回、北前船の寄港地であった竹野から帆を上げ、船出しました。それは、相撲と音楽の神髄を探る旅ですから、波任せ風任せで、順風満帆とはいくはずもなく、いろいろな港に立ち寄りながらのんびり果てしなく続きます。だからこそ期待される思いがけない出会いや発見、そしてどんな展望が開けるのか、様々な可能性を秘めた旅になっていきそうで、とても楽しみです。
松田 哲博
元・一ノ矢。鹿児島県徳之島出身。1960年生まれ。琉球大学理学部物理学科卒業後、若松部屋(現高砂部屋)に入門し、史上初の国立大学出身力士となる。2007年11月場所で引退するまで24年間の現役生活。引退時点で現役最年長力士であり、昭和以降の最高齢力士。引退後は、マネージャーとして高砂部屋の運営を支えつつ、シコトレの普及や相撲の物理的な探究を続けている。朝日カルチャーセンター講師。著書『シコふんじゃおう』(ベースボール・マガジン社)、『股関節を動かして一生元気な体をつくる』(実業之日本社)など多数。