ARTICLES記事
フレデリック・フェリシアーノ/Le Friiix Club『BIRDY』
フランス出張報告
ーボルドー・パリを訪ねてー
與田千菜美
2024.3.12
これまでに滞在制作を行った2組のアーティストが作品発表する機会を視察し、その様子を広く共有することを目的に、フランス2都市(ボルドー、パリ)への出張を実施した。2023年11月29日〜12月9日(木)の11日間を振り返るエッセイを掲載します。
飛行機に乗る
関西国際空港からエール・フランスの直行便に乗る。機内はフランスへ帰国する観光客でいっぱい。空気が乾燥しているせいか、くしゃみと鼻水が止まらない。英語字幕で観るフランス映画はもはや入眠BGMである。狭いエコノミー席で待ちに待った機内食。YouTubeで予習した「鮭のクリーム煮」を選んだ。
しばらく経ったころに窓から飛行機の外を覗くと、いつの間にか夜になっていた。機内のモニターでは日本時間とパリ時間が表示されているけれど「今、自分がいる場所」の時間が分からない。腕時計はまだ日本時間のままだ。一体どのタイミングで8時間分の針を回せば良いのだろう。不思議な14時間だった。北極の上を通過する瞬間の感動や、機内で提供されたシャンパンの味も、今はぼんやりとしか思い出せない。
ボルドーで食べる
空港近くのホテルで1泊。翌朝TGVに乗ってボルドーへ向かう。
ボルドー=サン=ジャン駅でLe Friiix Club制作のティファンさんと経理担当のアポリンさんが迎えてくれることになっていた。ガロンヌ川沿いを運行するトラムに乗り、ティファンさんが予約してくれたフレンチレストランへ向かった。
「英語は得意じゃないんだけど」と言いながら、二人はフランス語のメニューを訳し始める。難しいところはGoogle翻訳で。すると、時折おかしな日本語になる。ウシの歯石・・・?ボルドーの珍味?どうおかしいかを伝えられないのがもどかしい。迷った結果、骨付きラムを選ぶ。
二人はカンパニーのことや、ボルドーの名物、おすすめのワイン屋さん、トラムの乗り方を教えてくれた。私は頭の中で言葉を日本語に変換し、自分が話す事を考え、話す。話すというより、伝える。全力で耳を傾け、全力で伝えるので、食べるスピードはどんどん遅くなった。
ランチタイムがとうに過ぎたころにやっと完食。店員さんは呆れ返っていた。
15時頃ホテルへ帰る。部屋に入った途端に身体が重くなり、シャワーもせずに夜まで爆睡。
街を歩く
翌日は朝から雨降り。夜の公演まで時間があるので外に出てみた。
ホテル最寄りのサン・クロワ駅から中心地までは約10分。石造りの重厚な建築群がずらりと並び、1階部分がお店になっている。どこを見渡しても優しいクリーム色の壁で、古く素敵な街並み。クリスマスムードの通りを北へ進んで、モラという大型書店に入る。迷路のような店内の奥にとても広い漫画売り場があった。見たことのある日本の少女漫画や少年漫画がたくさん。ちょうど「ネコマンガ特集」をやっていて、様々な猫漫画の中に『ドラえもん1巻』が並んでいた。堂々としていた。本屋さんの愛を感じてほっこりした。
本屋を出て、広場で行われているクリスマスマーケットに立ち寄る。入り口で警備員が荷物検査を行っている。スリ対策でリュックに付けていた南京錠に手こずりながらも無事入場すると、場内はテイクアウトの食べ物や飲み物のお店、クリスマス雑貨のお店がずらり。チーズ屋の店員に話しかけられ、何種類かのチーズを試食する。どれも違うのは分かるのだけれど「おいしい」としか言えない。自分の気持ちをもっと言葉にして伝えられたらなあと思う。安いホットワインを飲みながら時差ボケの頭でうだうだ考えていると、あまりに違う世界に来たことを実感してクラクラした。
観客席で考える
夕方、イタリアから到着した並河咲耶さん&娘のライさんと合流。久々に日本語を話せる喜びでいつもより饒舌になっている気がする。三人で軽い夕食を済ませて『BIRDY』が上演されるカルチャーセンターM.270へ向かう。
M.270は文化センターとコミュニティセンターの中間のような施設で、地域住民の作品展示や、近隣文化施設のパンフレット、チラシの棚が並んでいた。ロビーにはすでにたくさんの少年少女が集まっていて、とても賑やか。ヨーロッパではこのような施設にきちんと年間の文化事業を組むための予算が当てられていて、施設が主体となって演劇やダンス、朗読、映画の上映会といった鑑賞型のプログラムを企画しているところが多いそうだ。
開演時刻をほどなく過ぎた頃に開場。クレームをつける人は誰一人いない。
順番に場内へ入り、各々好きな座席に座る。客席は300席ほど。
劇場スタッフの前説があって、開演。
上演はフランス語・英語字幕なし。
母国語ではない言語を聞き、頭の中で変換するのはとても負荷がかかるらしく、身体がしんどくなってくる。日本国内で舞台作品を観るときに、いかに日本語や日本語字幕に依存しているかを実感する。中盤に差し掛かったあたりから、やっと分からないセリフを追うことを手放し、人形の動きや音、美術、観客の反応といった舞台を構成する諸要素に目を向けるモードに切り替えることができた気がする。物語やドラマツルギーを理解することだけが舞台芸術の楽しみではない、という当たり前だけど大切なことの再発見だった。
終演後、ボルドー市内のラーメン屋でフレデリックと合流。パートナーのジェラルディンさんも一緒だった。お店は昭和レトロな居酒屋風で、店の奥がスタイリッシュな座敷になっている。土足のまま上がり、そのまま掘りごたつへ。意外と悪くない。いや、悪くないというか何となく適応できてしまう自分に驚く。ラーメンは優しい醤油味のスープで、バターに疲れ始めた身体に染みた。
フレデリックはいつもの調子でしゃべりまくる。中学生のライさんは彼の勢いに押され気味だったけれど、最後はイタリアのミュージシャンの話題で意気投合。帰りはフレデリックとジェラルディンさんがホテルまで送ってくれた。フレデリックの熱唱する宛先不明のバースデーソングが、深夜のボルドーに響いていた。
翌朝ジェラルディンさんの車でMarché des Capucins(マルシェ・カプサン)へ。
三人で場内のテラス席に座り、生牡蠣と白ワインを注文する。実はボルドーで採れる牡蠣は日本から輸入して育てている品種らしい。国内で食べる牡蠣よりも少し小ぶりでみずみずしい。豪快で繊細な潮の香りがボルドーの締めくくりに相応しく感じられた。2024年夏に日本で会うことを約束し、ボルドーを後にする。
パリを巡る
ボルドーからTGVで3時間。パリのモンパルナス駅に着く。思わぬ都会の景色が眼前に広がり腰が引ける。『地球の歩き方』で予習していた券売機を探し、navigoという交通ICカードを購入した。これがあればパリ市内のバス、メトロ、トラム、RERに乗ることができるのでとても便利らしい。ホテルはセーヌ川の南側に位置する14区、庶民的で落ち着いた雰囲気の街の一角にあった。これまでに泊まったホテルの中では一番古くてコンパクトな建物だけど、窓から生活感のある町並みが見えたり、何気ないけどセンスのある色使いの部屋に胸が躍る。ちなみにメトロ4番線のムートン・デュヴェルネが最寄り駅だ。
パリは物価上昇&円安で何もかもが高く、外食は軽く3000円程度かかってしまう世知辛い現実に直面した。街には無数のカフェやレストランがあるのに、まるで自分には入る権利が与えられていないような気分になる。毎日美味しいクロワッサンとエスプレッソ、三種類のハム、チーズ、モノプリのヨーグルトを食べられるホテルの朝食が心の支えだった。
滞在中の食事ルーティン。夜はハリボーと水、あとホテルのマドレーヌを食べてしのいだ。ペットボトル飲料がとても高いので、スーパーで一番安い1.5リットル0.6ユーロの水を買い、マイボトルに入れ替えて持ち歩いた。
パリ滞在中は劇場や美術館を中心に、歴史的な建築や広場、マルシェ、いくつかの移民街を訪ねた。
12月2日(土)
・Nadia Beugré『Prophétique(on est déjà né.es)』(ポンピドゥーセンター)
※美術館ストライキのため公演中止
12月3日(日)
・ヴァンヴ蚤の市、ラスパイユ・ビオマルシェ
・シルク・ディヴェール『Délire』
12月4日(月)
・『AUX FRONTIÈRES DE L’ART BRUT』(マックスフルニー素朴派美術館 )
・モンマルトル→アベス→ベルヴィル散策
・Sarah Vanhee『Mémé』(Theatre of La Bastille)
12月5日(火) ケ・ブランリ美術館
12月6日(水)
・オペラ・ガルニエ見学
・Mike Kelley『Ghost and Spirit』(ブルス・ドゥ・コメルス ピノー・コレクション)
12月7日(木)
・Issy Wood『Study For No』(ラファイエット・アンティシペーションズ)
・マレ地区散策
・DÉFRICHEUSES : FÉMINISMES, CAMÉRA AU POING ET ARCHIVE EN BANDOULIÈRE(シテ・アンテナショナル・デザール)
・Trajal Harrell『The Romeo』(ラ・ヴィレット)
12月8日(金)
・エトワール凱旋門とその周辺散策
・Kidows Kim『FUNKENSTEIN』(la Ménagerie de verre)
・Louise Siffert『WE HAVE NOT TO DIE』(la Ménagerie de verre)
12月9日(土) シャルル・ド・ゴール空港→関西国際空港へ出発
12月10日(日) 帰国
限られた日程ではあったけれど、演劇、人形劇、レクチャーパフォーマンス、ダンス、パフォーマンス、サーカス、アール・ブリュット、民族学博物館、現代美術といった、幅広いジャンルに触れることができた。今回予算や日程の都合が合わずオペラ、ジンガロ(騎馬による舞台芸術)、クレイジー・ホース(パリ伝統のヌードショー)など行くことが叶わなかったショーもあるけれど、これ以上詰め込むとただひたすら消費する感じになってしまったかもしれない。いつかフランスに行ける機会が巡ってきた時の楽しみにとっておこうと思う。それぞれの場所によって異なる雰囲気や客層を感じるのがとても新鮮だったし、劇場や美術館の周辺で起こるデモやストライキ、それに伴う公共交通機関の乱れや公演中止など、日本ではなかなか遭遇しない出来事に立ち会ったことも重要な体験だった。みんな普通にしているように見えるけれど常にピリッとした緊張感が漂っていて、自分が把握しきれないところから迫ってくる他者の視線を感じながら街を歩いた。(緊張し過ぎだろうか?)
そうやって自分の身を守りながら周囲に溶け込もうとし、劇場や美術館という「守られた場所」に入っていくような感覚は最後まであった気がする。
ここでは作品の一つ一つを振り返るのではなく、劇場や美術館のアクセシビリティについて触れておこうと思う。
まず、劇場や美術館のチケットは日本で買う感覚と大きく変わらなかった。安くもないし、高くもない。そのおかげで小劇場やスタジオで行われる実験的な作品や、1000人規模の大きい劇場で行われるもの、フランス伝統のサーカスなど、ここでしか観れない作品にたくさん触れることができた。チケットの料金設定も多様で、場所によっては25歳以下の入場無料、学校を対象とした団体割引、障がい者割引が充実しているほか、観覧用ツールとサービス(英語版ウェブアプリ、鑑賞ガイドなど)など、あらゆる人が文化芸術にアクセスできるような仕組みが整っていることを実感した。
私が訪れた場所のうち、オペラ・ガルニエと凱旋門には日本語の鑑賞ガイドがあった。そのほかは基本的にフランス語+英語だった。ピノー・コレクションでは作品鑑賞メモLes boussoles(ラ・ブソル)が配布されていた。これはフランス語で「方位磁石」を意味する。各章ごとに作品鑑賞の指針となるような言葉と質問が添えられていて、質問に答えながら展示を周れるようにデザインされていた。また、いくつかの美術館やスタジオでは男女共用トイレになっていた。これも初めての体験だった。日本の多目的トイレのように、トイレ自体が個室になっているところもあれば、一旦入ってから個室に入るタイプもあり「あれ、間違えた?!」と一瞬焦ることも。
多くの美術館で学生グループが展示を囲んでスケッチやメモをとっていたり、グループごとに学芸員が同行し、作品解説をしている光景があったことも印象深い。熱心に質問している学生もいた。現代アートは「何だかよく分からない」と思われがちだが、同時代の表現であるほど身近な問題や社会の背景が起点になっていたりする。一つの言葉や導き方次第で鑑賞者の体験や記憶と作品が接続され、世界が広がっていく可能性があるのだと思った。
気になるお金のこと
興味を持っておられる方もいらっしゃると思うので、今回かかったお金をできるだけ詳細に(赤裸々に)報告しておく。
やはり交通費と宿泊費のボリュームが大きい。現地での交通費がかさんだのは、Navigo Decouverte(ナヴィゴ デクーヴェルト)という旅行者用のICカードを買うタイミングを数日逃して回数券を都度チャージしたり、治安を気にして少し良いグレードの席を選んだり、ホテルの部屋のドアが開かなくて空港行きのシャトルバスに乗れずタクシーを呼んでもらうなど、突発的なアクシデントへの対応が要因と考えられる。
宿泊場所は、一泊12,000円以内/比較的治安の良いエリア/評価が安定しているところを条件に探した。海外旅行に慣れている人であればゲストハウスやairbnbなどいくらでも費用を抑える手段があるが、今回は初めての海外だったので「安心・安全」を最優先に宿泊場所を決めた。
食費は予算では4万円ほど見込んでいたが、なんと半分以内に収まっている。行くお店・食事のタイミングを厳選した成果ともいえる。
取材費は主に美術館や劇場のチケット代で、大体予算通り。
その他、急遽現地でシャンプーを買ったり、リュックのポケットに入れていた折り畳み傘を紛失してそこそこ高価な折り畳み傘を買ったり、お土産代やチップなど。領収書を見返すと色々と思い出してキリがない。
アーティストが豊岡に来るまでの道のりを知る
初めてフランスを訪ね、その土地の人々や暮らし、仕事に触れて過ごした11日間。
私にとっては初めて「外国人」になった時間であり、知らなかった都市や人、声と出会う時間であり「アーティストがどのような道のりを辿って豊岡に来ているのか」を知る時間であった。
異なる文化やアイデンティティが混在する公共空間があること、日常と暴力の距離感、移民のこと、お金のこと、場所に存在するルールのこと、コミュニティのこと。
自分がマジョリティだとは思ったことがないけど、マイノリティだと思ったこともなかったな、とか。うまく言えないけれど、ちょっとヒヤッとするような無自覚を自覚したり「外国人」としてそこにいるからこその不自由や自由を見つけた。
帰国した翌日に、ある方へ送ったメールを見返すと「豊岡とフランスのギャップがあまりにも大きく、昨日まで長い夢をみていたんじゃないかと思うような、とても不思議な感覚です」と書かれていた。ホクホク感が懐かしく、まるで知らない誰かの言葉みたいだ。先方からは「豊岡の風景との違いって衝撃的だよなーと思ってました。これらが同時に存在する...世界はやはり広いですよね」とのお返事。
本当に、世界は広い。
今回の出張は、そういう世界の複数性に触れ、揺さぶられながら、自分自身と意見交換をする時間だったとも言えるかもしれない。知らない世界を知る(=越境する)ために必要な条件について真剣に考え、異なる世界や文化圏から越境してきた他者をどう受け入れるか、ということについて考える時間である。
このレポートを書くためにそれら一つ一つを言葉にしようと試みたけれど、上手くまとまらないまま3ヵ月が経ってしまった。残酷だけど、あんなに心にとめておこうと思った衝撃や生生しい感覚も、日が経つごとにものすごいスピードへ遠くへ行ってしまうのだ。しかしその一つ一つがこの仕事を続けていく上でとても大切なことであるのは確かで、得難い経験をさせていただいたことに改めて感謝したい。
最後に
日本から来た私を温かく迎えてくれたLe Friiix Clubのティファンさん、アポリンさん、フレデリックのパートナーのジェラルディンさん、パリでご一緒してくださった藤田一樹さん、Ménagerie de Verreでのパフォーマンスに招待してくれたキム・キドさん、宿泊でお世話になったHotel Aviaticの皆さん、残念ながら現地ではお会いできなかったけれど、アドバイスをしてくださったアルゼンチンのホセ・ヒメネスさん、フランス在住日本人アーティストの皆さん、まるで一緒にフランスへ行くかのように、準備段階から今回の出張をアドバイス&コーディネートしてくださったKIACの志賀館長、出張を後押ししてくださったKIACの皆さん、気にかけてくれていた家族やアーティストの皆さん、友人の皆さん、
私をフランスへ導いてくれたフレデリック・フェリシアーノと並河咲耶さん、
本当にありがとうございました!Merci beaucoup!!
2023年3月20日
與田千菜美
フレデリック・フェリシアーノ/Le Friiix Club
18歳のとき、パリで人形劇の探究を開始し、縫製と彫刻の技術を磨くためにイタリアへ渡る。
その後、フランス・ボルドーを拠点に自身のカンパニー、Le Friiix Clubを設立。さまざまな人形操作法を試したのち、素手を人形に見立てる手法で作品を創作。2023年6月に日本の漫画とマリオネットを融合した新作『BIRDY』の滞在制作を行なった。
【公演詳細】 『BIRDY』(M.270)
キム・キド
韓国出身、パリとブリュッセルを拠点とする。グラフィックデザインとパントマイムを学んだ後、アンジェ国立現代舞踊センター(CNDC)を経て、モンペリエ国立振付センター(ICI-CCN)でChristian Rizzoの指導のもとMaster Exerceで研究を行う。これまでに「空想上の生き物辞典」という考えから、2021年に第1章『FUNKENSTEIN』を発表。2022年8月に城崎国際アートセンターにて第2章『CUTTING MUSHROOMS』の滞在制作を実施し、2023年に発表した。現在、第3章『HIGH GEAR』を構想している。
【公演詳細】 『FUNKENSTEIN』(Festival Les Inaccoutumés / La Ménagerie de verre)
関西国際空港からエール・フランスの直行便に乗る。機内はフランスへ帰国する観光客でいっぱい。空気が乾燥しているせいか、くしゃみと鼻水が止まらない。英語字幕で観るフランス映画はもはや入眠BGMである。狭いエコノミー席で待ちに待った機内食。YouTubeで予習した「鮭のクリーム煮」を選んだ。
しばらく経ったころに窓から飛行機の外を覗くと、いつの間にか夜になっていた。機内のモニターでは日本時間とパリ時間が表示されているけれど「今、自分がいる場所」の時間が分からない。腕時計はまだ日本時間のままだ。一体どのタイミングで8時間分の針を回せば良いのだろう。不思議な14時間だった。北極の上を通過する瞬間の感動や、機内で提供されたシャンパンの味も、今はぼんやりとしか思い出せない。
ボルドーで食べる
空港近くのホテルで1泊。翌朝TGVに乗ってボルドーへ向かう。
ボルドー=サン=ジャン駅でLe Friiix Club制作のティファンさんと経理担当のアポリンさんが迎えてくれることになっていた。ガロンヌ川沿いを運行するトラムに乗り、ティファンさんが予約してくれたフレンチレストランへ向かった。
「英語は得意じゃないんだけど」と言いながら、二人はフランス語のメニューを訳し始める。難しいところはGoogle翻訳で。すると、時折おかしな日本語になる。ウシの歯石・・・?ボルドーの珍味?どうおかしいかを伝えられないのがもどかしい。迷った結果、骨付きラムを選ぶ。
二人はカンパニーのことや、ボルドーの名物、おすすめのワイン屋さん、トラムの乗り方を教えてくれた。私は頭の中で言葉を日本語に変換し、自分が話す事を考え、話す。話すというより、伝える。全力で耳を傾け、全力で伝えるので、食べるスピードはどんどん遅くなった。
ランチタイムがとうに過ぎたころにやっと完食。店員さんは呆れ返っていた。
15時頃ホテルへ帰る。部屋に入った途端に身体が重くなり、シャワーもせずに夜まで爆睡。
街を歩く
翌日は朝から雨降り。夜の公演まで時間があるので外に出てみた。
ホテル最寄りのサン・クロワ駅から中心地までは約10分。石造りの重厚な建築群がずらりと並び、1階部分がお店になっている。どこを見渡しても優しいクリーム色の壁で、古く素敵な街並み。クリスマスムードの通りを北へ進んで、モラという大型書店に入る。迷路のような店内の奥にとても広い漫画売り場があった。見たことのある日本の少女漫画や少年漫画がたくさん。ちょうど「ネコマンガ特集」をやっていて、様々な猫漫画の中に『ドラえもん1巻』が並んでいた。堂々としていた。本屋さんの愛を感じてほっこりした。
本屋を出て、広場で行われているクリスマスマーケットに立ち寄る。入り口で警備員が荷物検査を行っている。スリ対策でリュックに付けていた南京錠に手こずりながらも無事入場すると、場内はテイクアウトの食べ物や飲み物のお店、クリスマス雑貨のお店がずらり。チーズ屋の店員に話しかけられ、何種類かのチーズを試食する。どれも違うのは分かるのだけれど「おいしい」としか言えない。自分の気持ちをもっと言葉にして伝えられたらなあと思う。安いホットワインを飲みながら時差ボケの頭でうだうだ考えていると、あまりに違う世界に来たことを実感してクラクラした。
観客席で考える
夕方、イタリアから到着した並河咲耶さん&娘のライさんと合流。久々に日本語を話せる喜びでいつもより饒舌になっている気がする。三人で軽い夕食を済ませて『BIRDY』が上演されるカルチャーセンターM.270へ向かう。
M.270は文化センターとコミュニティセンターの中間のような施設で、地域住民の作品展示や、近隣文化施設のパンフレット、チラシの棚が並んでいた。ロビーにはすでにたくさんの少年少女が集まっていて、とても賑やか。ヨーロッパではこのような施設にきちんと年間の文化事業を組むための予算が当てられていて、施設が主体となって演劇やダンス、朗読、映画の上映会といった鑑賞型のプログラムを企画しているところが多いそうだ。
開演時刻をほどなく過ぎた頃に開場。クレームをつける人は誰一人いない。
順番に場内へ入り、各々好きな座席に座る。客席は300席ほど。
劇場スタッフの前説があって、開演。
上演はフランス語・英語字幕なし。
母国語ではない言語を聞き、頭の中で変換するのはとても負荷がかかるらしく、身体がしんどくなってくる。日本国内で舞台作品を観るときに、いかに日本語や日本語字幕に依存しているかを実感する。中盤に差し掛かったあたりから、やっと分からないセリフを追うことを手放し、人形の動きや音、美術、観客の反応といった舞台を構成する諸要素に目を向けるモードに切り替えることができた気がする。物語やドラマツルギーを理解することだけが舞台芸術の楽しみではない、という当たり前だけど大切なことの再発見だった。
終演後、ボルドー市内のラーメン屋でフレデリックと合流。パートナーのジェラルディンさんも一緒だった。お店は昭和レトロな居酒屋風で、店の奥がスタイリッシュな座敷になっている。土足のまま上がり、そのまま掘りごたつへ。意外と悪くない。いや、悪くないというか何となく適応できてしまう自分に驚く。ラーメンは優しい醤油味のスープで、バターに疲れ始めた身体に染みた。
フレデリックはいつもの調子でしゃべりまくる。中学生のライさんは彼の勢いに押され気味だったけれど、最後はイタリアのミュージシャンの話題で意気投合。帰りはフレデリックとジェラルディンさんがホテルまで送ってくれた。フレデリックの熱唱する宛先不明のバースデーソングが、深夜のボルドーに響いていた。
翌朝ジェラルディンさんの車でMarché des Capucins(マルシェ・カプサン)へ。
三人で場内のテラス席に座り、生牡蠣と白ワインを注文する。実はボルドーで採れる牡蠣は日本から輸入して育てている品種らしい。国内で食べる牡蠣よりも少し小ぶりでみずみずしい。豪快で繊細な潮の香りがボルドーの締めくくりに相応しく感じられた。2024年夏に日本で会うことを約束し、ボルドーを後にする。
パリを巡る
ボルドーからTGVで3時間。パリのモンパルナス駅に着く。思わぬ都会の景色が眼前に広がり腰が引ける。『地球の歩き方』で予習していた券売機を探し、navigoという交通ICカードを購入した。これがあればパリ市内のバス、メトロ、トラム、RERに乗ることができるのでとても便利らしい。ホテルはセーヌ川の南側に位置する14区、庶民的で落ち着いた雰囲気の街の一角にあった。これまでに泊まったホテルの中では一番古くてコンパクトな建物だけど、窓から生活感のある町並みが見えたり、何気ないけどセンスのある色使いの部屋に胸が躍る。ちなみにメトロ4番線のムートン・デュヴェルネが最寄り駅だ。
パリは物価上昇&円安で何もかもが高く、外食は軽く3000円程度かかってしまう世知辛い現実に直面した。街には無数のカフェやレストランがあるのに、まるで自分には入る権利が与えられていないような気分になる。毎日美味しいクロワッサンとエスプレッソ、三種類のハム、チーズ、モノプリのヨーグルトを食べられるホテルの朝食が心の支えだった。
朝食:ホテルの食堂で多めに食べる
昼食:なし
夕食:夕方16時ごろに決めておいたお店に行って食べる
昼食:なし
夕食:夕方16時ごろに決めておいたお店に行って食べる
滞在中の食事ルーティン。夜はハリボーと水、あとホテルのマドレーヌを食べてしのいだ。ペットボトル飲料がとても高いので、スーパーで一番安い1.5リットル0.6ユーロの水を買い、マイボトルに入れ替えて持ち歩いた。
パリ滞在中は劇場や美術館を中心に、歴史的な建築や広場、マルシェ、いくつかの移民街を訪ねた。
12月2日(土)
・Nadia Beugré『Prophétique(on est déjà né.es)』(ポンピドゥーセンター)
※美術館ストライキのため公演中止
12月3日(日)
・ヴァンヴ蚤の市、ラスパイユ・ビオマルシェ
・シルク・ディヴェール『Délire』
12月4日(月)
・『AUX FRONTIÈRES DE L’ART BRUT』(マックスフルニー素朴派美術館 )
・モンマルトル→アベス→ベルヴィル散策
・Sarah Vanhee『Mémé』(Theatre of La Bastille)
12月5日(火) ケ・ブランリ美術館
12月6日(水)
・オペラ・ガルニエ見学
・Mike Kelley『Ghost and Spirit』(ブルス・ドゥ・コメルス ピノー・コレクション)
12月7日(木)
・Issy Wood『Study For No』(ラファイエット・アンティシペーションズ)
・マレ地区散策
・DÉFRICHEUSES : FÉMINISMES, CAMÉRA AU POING ET ARCHIVE EN BANDOULIÈRE(シテ・アンテナショナル・デザール)
・Trajal Harrell『The Romeo』(ラ・ヴィレット)
12月8日(金)
・エトワール凱旋門とその周辺散策
・Kidows Kim『FUNKENSTEIN』(la Ménagerie de verre)
・Louise Siffert『WE HAVE NOT TO DIE』(la Ménagerie de verre)
12月9日(土) シャルル・ド・ゴール空港→関西国際空港へ出発
12月10日(日) 帰国
限られた日程ではあったけれど、演劇、人形劇、レクチャーパフォーマンス、ダンス、パフォーマンス、サーカス、アール・ブリュット、民族学博物館、現代美術といった、幅広いジャンルに触れることができた。今回予算や日程の都合が合わずオペラ、ジンガロ(騎馬による舞台芸術)、クレイジー・ホース(パリ伝統のヌードショー)など行くことが叶わなかったショーもあるけれど、これ以上詰め込むとただひたすら消費する感じになってしまったかもしれない。いつかフランスに行ける機会が巡ってきた時の楽しみにとっておこうと思う。それぞれの場所によって異なる雰囲気や客層を感じるのがとても新鮮だったし、劇場や美術館の周辺で起こるデモやストライキ、それに伴う公共交通機関の乱れや公演中止など、日本ではなかなか遭遇しない出来事に立ち会ったことも重要な体験だった。みんな普通にしているように見えるけれど常にピリッとした緊張感が漂っていて、自分が把握しきれないところから迫ってくる他者の視線を感じながら街を歩いた。(緊張し過ぎだろうか?)
そうやって自分の身を守りながら周囲に溶け込もうとし、劇場や美術館という「守られた場所」に入っていくような感覚は最後まであった気がする。
ここでは作品の一つ一つを振り返るのではなく、劇場や美術館のアクセシビリティについて触れておこうと思う。
まず、劇場や美術館のチケットは日本で買う感覚と大きく変わらなかった。安くもないし、高くもない。そのおかげで小劇場やスタジオで行われる実験的な作品や、1000人規模の大きい劇場で行われるもの、フランス伝統のサーカスなど、ここでしか観れない作品にたくさん触れることができた。チケットの料金設定も多様で、場所によっては25歳以下の入場無料、学校を対象とした団体割引、障がい者割引が充実しているほか、観覧用ツールとサービス(英語版ウェブアプリ、鑑賞ガイドなど)など、あらゆる人が文化芸術にアクセスできるような仕組みが整っていることを実感した。
私が訪れた場所のうち、オペラ・ガルニエと凱旋門には日本語の鑑賞ガイドがあった。そのほかは基本的にフランス語+英語だった。ピノー・コレクションでは作品鑑賞メモLes boussoles(ラ・ブソル)が配布されていた。これはフランス語で「方位磁石」を意味する。各章ごとに作品鑑賞の指針となるような言葉と質問が添えられていて、質問に答えながら展示を周れるようにデザインされていた。また、いくつかの美術館やスタジオでは男女共用トイレになっていた。これも初めての体験だった。日本の多目的トイレのように、トイレ自体が個室になっているところもあれば、一旦入ってから個室に入るタイプもあり「あれ、間違えた?!」と一瞬焦ることも。
多くの美術館で学生グループが展示を囲んでスケッチやメモをとっていたり、グループごとに学芸員が同行し、作品解説をしている光景があったことも印象深い。熱心に質問している学生もいた。現代アートは「何だかよく分からない」と思われがちだが、同時代の表現であるほど身近な問題や社会の背景が起点になっていたりする。一つの言葉や導き方次第で鑑賞者の体験や記憶と作品が接続され、世界が広がっていく可能性があるのだと思った。
気になるお金のこと
興味を持っておられる方もいらっしゃると思うので、今回かかったお金をできるだけ詳細に(赤裸々に)報告しておく。
渡航費 ¥197,740円
交通費 ¥108,029円
宿泊費 ¥137,780円
食費 ¥22,047円
取材費 ¥22,904円
お土産代など ¥17,455円
合計 ¥505,955円
※渡航費とパリからボルドーの移動費、宿泊費を補助いただいた。
交通費 ¥108,029円
宿泊費 ¥137,780円
食費 ¥22,047円
取材費 ¥22,904円
お土産代など ¥17,455円
合計 ¥505,955円
※渡航費とパリからボルドーの移動費、宿泊費を補助いただいた。
やはり交通費と宿泊費のボリュームが大きい。現地での交通費がかさんだのは、Navigo Decouverte(ナヴィゴ デクーヴェルト)という旅行者用のICカードを買うタイミングを数日逃して回数券を都度チャージしたり、治安を気にして少し良いグレードの席を選んだり、ホテルの部屋のドアが開かなくて空港行きのシャトルバスに乗れずタクシーを呼んでもらうなど、突発的なアクシデントへの対応が要因と考えられる。
宿泊場所は、一泊12,000円以内/比較的治安の良いエリア/評価が安定しているところを条件に探した。海外旅行に慣れている人であればゲストハウスやairbnbなどいくらでも費用を抑える手段があるが、今回は初めての海外だったので「安心・安全」を最優先に宿泊場所を決めた。
食費は予算では4万円ほど見込んでいたが、なんと半分以内に収まっている。行くお店・食事のタイミングを厳選した成果ともいえる。
取材費は主に美術館や劇場のチケット代で、大体予算通り。
その他、急遽現地でシャンプーを買ったり、リュックのポケットに入れていた折り畳み傘を紛失してそこそこ高価な折り畳み傘を買ったり、お土産代やチップなど。領収書を見返すと色々と思い出してキリがない。
アーティストが豊岡に来るまでの道のりを知る
初めてフランスを訪ね、その土地の人々や暮らし、仕事に触れて過ごした11日間。
私にとっては初めて「外国人」になった時間であり、知らなかった都市や人、声と出会う時間であり「アーティストがどのような道のりを辿って豊岡に来ているのか」を知る時間であった。
異なる文化やアイデンティティが混在する公共空間があること、日常と暴力の距離感、移民のこと、お金のこと、場所に存在するルールのこと、コミュニティのこと。
自分がマジョリティだとは思ったことがないけど、マイノリティだと思ったこともなかったな、とか。うまく言えないけれど、ちょっとヒヤッとするような無自覚を自覚したり「外国人」としてそこにいるからこその不自由や自由を見つけた。
帰国した翌日に、ある方へ送ったメールを見返すと「豊岡とフランスのギャップがあまりにも大きく、昨日まで長い夢をみていたんじゃないかと思うような、とても不思議な感覚です」と書かれていた。ホクホク感が懐かしく、まるで知らない誰かの言葉みたいだ。先方からは「豊岡の風景との違いって衝撃的だよなーと思ってました。これらが同時に存在する...世界はやはり広いですよね」とのお返事。
本当に、世界は広い。
今回の出張は、そういう世界の複数性に触れ、揺さぶられながら、自分自身と意見交換をする時間だったとも言えるかもしれない。知らない世界を知る(=越境する)ために必要な条件について真剣に考え、異なる世界や文化圏から越境してきた他者をどう受け入れるか、ということについて考える時間である。
このレポートを書くためにそれら一つ一つを言葉にしようと試みたけれど、上手くまとまらないまま3ヵ月が経ってしまった。残酷だけど、あんなに心にとめておこうと思った衝撃や生生しい感覚も、日が経つごとにものすごいスピードへ遠くへ行ってしまうのだ。しかしその一つ一つがこの仕事を続けていく上でとても大切なことであるのは確かで、得難い経験をさせていただいたことに改めて感謝したい。
最後に
日本から来た私を温かく迎えてくれたLe Friiix Clubのティファンさん、アポリンさん、フレデリックのパートナーのジェラルディンさん、パリでご一緒してくださった藤田一樹さん、Ménagerie de Verreでのパフォーマンスに招待してくれたキム・キドさん、宿泊でお世話になったHotel Aviaticの皆さん、残念ながら現地ではお会いできなかったけれど、アドバイスをしてくださったアルゼンチンのホセ・ヒメネスさん、フランス在住日本人アーティストの皆さん、まるで一緒にフランスへ行くかのように、準備段階から今回の出張をアドバイス&コーディネートしてくださったKIACの志賀館長、出張を後押ししてくださったKIACの皆さん、気にかけてくれていた家族やアーティストの皆さん、友人の皆さん、
私をフランスへ導いてくれたフレデリック・フェリシアーノと並河咲耶さん、
本当にありがとうございました!Merci beaucoup!!
2023年3月20日
與田千菜美
フレデリック・フェリシアーノ/Le Friiix Club
18歳のとき、パリで人形劇の探究を開始し、縫製と彫刻の技術を磨くためにイタリアへ渡る。
その後、フランス・ボルドーを拠点に自身のカンパニー、Le Friiix Clubを設立。さまざまな人形操作法を試したのち、素手を人形に見立てる手法で作品を創作。2023年6月に日本の漫画とマリオネットを融合した新作『BIRDY』の滞在制作を行なった。
【公演詳細】 『BIRDY』(M.270)
キム・キド
韓国出身、パリとブリュッセルを拠点とする。グラフィックデザインとパントマイムを学んだ後、アンジェ国立現代舞踊センター(CNDC)を経て、モンペリエ国立振付センター(ICI-CCN)でChristian Rizzoの指導のもとMaster Exerceで研究を行う。これまでに「空想上の生き物辞典」という考えから、2021年に第1章『FUNKENSTEIN』を発表。2022年8月に城崎国際アートセンターにて第2章『CUTTING MUSHROOMS』の滞在制作を実施し、2023年に発表した。現在、第3章『HIGH GEAR』を構想している。
【公演詳細】 『FUNKENSTEIN』(Festival Les Inaccoutumés / La Ménagerie de verre)
與田千菜美
1993年、兵庫県豊岡市生まれ。島根大学出身。座・高円寺劇場創造アカデミー修了。2020年より城崎国際アートセンターコーディネーター。