ARTICLES記事
©igaki photo studio
『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#05】
太田奈緖美
2022.2.24
かつて北前船の寄港地として栄えた当時の町並みが残る竹野町。
元船主邸・田中邸とその周りに広がる迷路のような路地を舞台に、美術作家の太田奈緖美らが田中邸の調査や竹野に住む方々へのインタビューを行い、人々の言葉や記憶、町の歴史を手がかりに、ブラタケノ運営委員会との協働で作品を創作。2021年2月、まち歩きをしながら巡るインスタレーション・パフォーマンスとして発表しました。
竹野の皆さんとの出会いからリサーチ、パフォーマンスの創作・発表にいたるまでの制作レポートが届きました。太田奈緒美さんの視点で振り返るプロジェクトの過程を、連載として複数回に分けてお送りします。
元船主邸・田中邸とその周りに広がる迷路のような路地を舞台に、美術作家の太田奈緖美らが田中邸の調査や竹野に住む方々へのインタビューを行い、人々の言葉や記憶、町の歴史を手がかりに、ブラタケノ運営委員会との協働で作品を創作。2021年2月、まち歩きをしながら巡るインスタレーション・パフォーマンスとして発表しました。
竹野の皆さんとの出会いからリサーチ、パフォーマンスの創作・発表にいたるまでの制作レポートが届きました。太田奈緒美さんの視点で振り返るプロジェクトの過程を、連載として複数回に分けてお送りします。
成果発表の2日間
初日の2月26日は偶然にも私の誕生日で、ノットルからの電話で賑やかなバースデーソングとともに、公演への激励をもらううれしい朝のはじまりとなりました。田中邸で客席の電気を消す係として待機していると、みなさんの会話が聞こえて来ます。ご近所の方々でもはじめて家の中をじっくり見た様子で、土間の道具類を懐かしんだり、水屋、鴨居、柱、神棚などを眺めて語り合っていました。控えの場にいた岸本さんに聞こえたことで、鴨居などには漆が塗られている丁寧な造作だと知りました。作品を鑑賞していただくことももちろんですが、田中邸という歴史的に貴重であり、また色々な可能性のある場所を知っていただける機会ともなったのは意義深いことです。この日の夕食時にはサプライズBDのお祝いもしていただき、毎日何かしらで笑いの絶えない現場ですが、ひときわ賑やかな上演初日の夕べとなりました。
最終日開演前。自ら発案の参加者に配布する缶バッジのデザインへもこだわりを発揮していた吉田さんが、井戸に設置するサインの改良バージョンをつくって一日だけのために井戸を廻って交換していることに感服しつつ、私はまだ歩いていなかった路地を散策してから田中邸へ向かいました。制作期間中はなかなかゆっくりと竹野に身をゆだねる機会がありませんでしたが、このような静かな時間はやはり大切です。
この日も各回満席で「観る度にまた発見があるんですよ。」と足を運んでくださったり、岩海苔の話が出てきたからと宇日の海苔を差し入れてくださる方もいました。ひととまるの上演では、田村さんがいてくださることではじめてひととまるに足を運んだ近隣の方々も心地よくお話ししている様子で、青山さんは田中邸に訪れる方々に家の丁寧な説明もしてくださり、お二人にはすっかり頼り切っていました。青山さんの奥様も井戸を巡る人々の案内などのご協力をしてくださったりと、あらためて感謝とともにみなさまに育てられた企画であること深く感じる公演でした。
こうして150人程もの来場があった2日間が終了。撤収作業中の田中邸で舩野さんからいただいた「普段なかなか互いに口に出す事のできない言葉を言ってもらえて、何か胸のつかえがとれた気がする。」「竹野に住んでいる者として、心のドアをノックされた。」という言葉をしみじみと有り難く受け取りました。
田中邸パフォーマンス/大八車パフォーマンス©igaki photo studio
その後とこれからのこと
後日いただいた感想では、「竹野で暮らす母や亡くなった祖母とのつながりを感じるものでした。自分を育んでくれたものの大きさに気づかされて、その恵みに対して、心からありがとうと思いました。」とメールをくださったひととまるのパフォーマンスで涙してしまったという他地域にお住まいの竹野出身の方や、「家にスポットを当てることによって掘り起こされた記憶や家の特別感が、また誰かの記憶を呼び起こすような、そんな感覚がありました。 ただ空き家を問題としてとりあげるのではなく、人の心に問いかけるようなアプローチが共感を呼んだ気がします。」という竹野でのご縁をつないでいただいた丹下さんからの言葉もいただき、この作品が何かしらの形で心にふれることができたことをうれしく思いました。
これまでの多様な風土・文化でのサイトスペシフィックな制作では、物理的な空間への呼応だけではなく、その土地を反映する素材を取り入れることで、外へも広く繋がった「土地特有の空間」を表現することを意識してきました。『この家で』では拾い集めた様々な時代からの言葉や日常の光景からのテキスト、パフォーマーの所作、音、視覚的要素、スペースの全てが互いに作用し合い、町の空間とも呼応した、広い意味でのインスタレーション・パフォーマンスのひとつのカタチを生み出すことができたように思います。もちろん反省点も多々あり、大八車というアイテム自体に頼りすぎて、パフォーマンスとしての設定が到らなかったことや、ノットルからの詩の内容に絡めてつくれることもあったかもしれないなど、これらの課題はしっかり心に留めておこうと思います。
青山さんによると「焼杉板の町並みを保存していくためのまちづくりは25年くらいはかかる」そうです。「場」を借りての一つの企画ということではなく、先のことも考えながらアートを介して町と人々に寄り添っていける表現とは何なのか…。竹野という土地で「つくること」を通して、文化とは何か芸術とは何かをあらためて考える機会をいただきました。多くの大切なことを学ばせていただいた竹野との繋がりを大切に、自分にできることを通してこれからもともにつくり続けていきたいと願っています。
コラボレーターとしてあらゆる面でお世話になったブラタケノのみなさま、お話を聞かせてくださった方々をはじめ竹野で出会った全てのみなさま、温かいご協力をいただいた石丸さんご家族、急な呼びかけに快く参加していただいいた素晴らしいパフォーマーの方々、企画の実施への細やかな配慮とともに頼もしい事限りないKIACとテクニカルチーム、そして成果発表へ足を運んでくださったみなさまに心より御礼申し上げます。
*時空間散歩『この家で − 이 집에서<in this house>』は、2020 年度の城崎国際アートセンター主催事業として文化庁から助成金を受け、滞在制作と上演を行いました。
『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#01】
『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#02】
『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#03】
『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#04】
初日の2月26日は偶然にも私の誕生日で、ノットルからの電話で賑やかなバースデーソングとともに、公演への激励をもらううれしい朝のはじまりとなりました。田中邸で客席の電気を消す係として待機していると、みなさんの会話が聞こえて来ます。ご近所の方々でもはじめて家の中をじっくり見た様子で、土間の道具類を懐かしんだり、水屋、鴨居、柱、神棚などを眺めて語り合っていました。控えの場にいた岸本さんに聞こえたことで、鴨居などには漆が塗られている丁寧な造作だと知りました。作品を鑑賞していただくことももちろんですが、田中邸という歴史的に貴重であり、また色々な可能性のある場所を知っていただける機会ともなったのは意義深いことです。この日の夕食時にはサプライズBDのお祝いもしていただき、毎日何かしらで笑いの絶えない現場ですが、ひときわ賑やかな上演初日の夕べとなりました。
最終日開演前。自ら発案の参加者に配布する缶バッジのデザインへもこだわりを発揮していた吉田さんが、井戸に設置するサインの改良バージョンをつくって一日だけのために井戸を廻って交換していることに感服しつつ、私はまだ歩いていなかった路地を散策してから田中邸へ向かいました。制作期間中はなかなかゆっくりと竹野に身をゆだねる機会がありませんでしたが、このような静かな時間はやはり大切です。
この日も各回満席で「観る度にまた発見があるんですよ。」と足を運んでくださったり、岩海苔の話が出てきたからと宇日の海苔を差し入れてくださる方もいました。ひととまるの上演では、田村さんがいてくださることではじめてひととまるに足を運んだ近隣の方々も心地よくお話ししている様子で、青山さんは田中邸に訪れる方々に家の丁寧な説明もしてくださり、お二人にはすっかり頼り切っていました。青山さんの奥様も井戸を巡る人々の案内などのご協力をしてくださったりと、あらためて感謝とともにみなさまに育てられた企画であること深く感じる公演でした。
こうして150人程もの来場があった2日間が終了。撤収作業中の田中邸で舩野さんからいただいた「普段なかなか互いに口に出す事のできない言葉を言ってもらえて、何か胸のつかえがとれた気がする。」「竹野に住んでいる者として、心のドアをノックされた。」という言葉をしみじみと有り難く受け取りました。
その後とこれからのこと
後日いただいた感想では、「竹野で暮らす母や亡くなった祖母とのつながりを感じるものでした。自分を育んでくれたものの大きさに気づかされて、その恵みに対して、心からありがとうと思いました。」とメールをくださったひととまるのパフォーマンスで涙してしまったという他地域にお住まいの竹野出身の方や、「家にスポットを当てることによって掘り起こされた記憶や家の特別感が、また誰かの記憶を呼び起こすような、そんな感覚がありました。 ただ空き家を問題としてとりあげるのではなく、人の心に問いかけるようなアプローチが共感を呼んだ気がします。」という竹野でのご縁をつないでいただいた丹下さんからの言葉もいただき、この作品が何かしらの形で心にふれることができたことをうれしく思いました。
これまでの多様な風土・文化でのサイトスペシフィックな制作では、物理的な空間への呼応だけではなく、その土地を反映する素材を取り入れることで、外へも広く繋がった「土地特有の空間」を表現することを意識してきました。『この家で』では拾い集めた様々な時代からの言葉や日常の光景からのテキスト、パフォーマーの所作、音、視覚的要素、スペースの全てが互いに作用し合い、町の空間とも呼応した、広い意味でのインスタレーション・パフォーマンスのひとつのカタチを生み出すことができたように思います。もちろん反省点も多々あり、大八車というアイテム自体に頼りすぎて、パフォーマンスとしての設定が到らなかったことや、ノットルからの詩の内容に絡めてつくれることもあったかもしれないなど、これらの課題はしっかり心に留めておこうと思います。
青山さんによると「焼杉板の町並みを保存していくためのまちづくりは25年くらいはかかる」そうです。「場」を借りての一つの企画ということではなく、先のことも考えながらアートを介して町と人々に寄り添っていける表現とは何なのか…。竹野という土地で「つくること」を通して、文化とは何か芸術とは何かをあらためて考える機会をいただきました。多くの大切なことを学ばせていただいた竹野との繋がりを大切に、自分にできることを通してこれからもともにつくり続けていきたいと願っています。
コラボレーターとしてあらゆる面でお世話になったブラタケノのみなさま、お話を聞かせてくださった方々をはじめ竹野で出会った全てのみなさま、温かいご協力をいただいた石丸さんご家族、急な呼びかけに快く参加していただいいた素晴らしいパフォーマーの方々、企画の実施への細やかな配慮とともに頼もしい事限りないKIACとテクニカルチーム、そして成果発表へ足を運んでくださったみなさまに心より御礼申し上げます。
*時空間散歩『この家で − 이 집에서<in this house>』は、2020 年度の城崎国際アートセンター主催事業として文化庁から助成金を受け、滞在制作と上演を行いました。
『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#01】
『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#02】
『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#03】
『この家で − 이 집에서<in this house>』制作ノート【#04】
太田奈緖美
メルボルンを拠点に国内外で舞踏、ダンス、演劇、学祭的分野などでコラボレーションを行ってきた美術作家。現在神戸在住。自然や情緒的風景、遠い記憶から導き出される作品は、繊細なディティールから空間インスタレーションまで幅広い。京都市立芸術大学大学院・オーストラリアRMIT大学PhD修了。