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ノイマルクト劇場&市原佐都子/Q 『Madama Butterfly』©Philip Frowein

『マダム・バタフライ』異/異聞(3/3)
熊倉敬聡

2023.6.18

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《レオニーとの関係が、求婚していたエセルに知られ破談となっていた米次郎は、1906年1月、突然以下の文言を綴った手紙を、レオニーに送る。「レオニー、この便りはこれまでになく重要なものと思ってください。読んだ後でくれぐれもよく考えて、それから返事をください〔…〕君はやはり日本にきてください。君と赤ん坊にとって、それが一番良い道だと思われる。日本にきたら、二人して赤ん坊を育てられます。赤ん坊に〝父なし子〟の烙印を背負わさずにすむ。これがもっとも大切な点だ」。こうして、米次郎は初めてレオニーに日本に来るよう促した。まだ見たことのないロサンゼルスの息子はすでに一歳をすぎていた。
その後、米次郎とレオニーの間には、来日をめぐり何度も応酬があるが、アメリカでの反日感情の高まりから、日本人との混血児である息子を守るため、ついにレオニーは、日本行きを決心する。そして、1907年3月、サンフランシスコを出港する。
しかし、米次郎は、1906年1月武田まつ子という女性と結婚していて、レオニーがサンフランシスコを出帆する頃、まつ子はすでに第一子を身ごもっていた。
 米次郎は、結局終生、わが息子を正式に認知しなかった。ゆえに息子は生涯レオニーの私生児で終わる。その後、にもかかわらず、自らを「イサム・ノグチ」と名乗った息子は、やがて世界的に有名な芸術家となる。》


 第三幕。再び、第一幕の「森」か「ジャングル」様のCG映像が、でも今度は仄暗いなか息づき、蠢き、電子的に密やかに沸き立つ音声とともに、生命の「神秘」を湛えているかのよう。その仄暗い神秘の只中で、前幕では「タムタム」だった人物が、どうやら「息子」に変身し、自らの(日本人の母とアメリカ人の父との)「ハーフ」としての、人知れぬ苦悩、「問題経験」を英語で独語する。
 日本社会における「ハーフ」という事象について、ある研究者は言う。「ところで、そもそも、『ハーフ』という言葉は日本社会において、非常に雑駁に用いられるカテゴリーである。一般的には、『外国人と日本人とのあいだに生まれた人々』といったニュアンスで用いられるが、実際には、エスニシティ、国籍、ジェンダー、セクシュアリティ、階級・階層、宗教、出生地、生育地、生活環境などに関わる複雑な構造的力関係に巻き込まれながら、交差的にアイデンティティを形成し、それぞれの経験や問題含みの日常に質的な差異を抱えている人々である。だが、多様な内実を縮減するように、特定の『ハーフ』 表象、すなわち、欧米白人系、容姿端麗、バイリンガルといった諸要素が前景化し、しばしば女性化・商品化された表象が一九七〇年代後半から広範に流布・定着することで、そうした差異は後景化されてきた。」*⁸
 そして、「ハーフ」たちは、人々に社会問題としては認知されがたいが、本人たちにとっては日々の生きづらさを覚える切実な経験、すなわち「問題経験」に苛まれているという。「問題経験とは、草柳千早によると、社会問題化しづらい、つまり、社会問題として異議申し立てをしても、社会問題としてはみなされづらいが、たしかに感受され、直面させられる 『「何かおかしい」、不満、不快、疑問、憤り、悩み、違和感、苛立ち、疲労感、不調、生きづらさ』をめぐる経験」*⁹だという。
 「ハーフ」の「息子」の問題経験の独白は、まずはワキガの悩みから始まる。彼によるとほぼ全員ワキガらしいアメリカ人の父からの遺伝的悩みは、LINE交換しようと言ってきたアイコンにチワワと映る同級生の女の子の「アメリカ⼈はワキガの⼈が多いんだって ワキガの⼈は⽿垢がしっけてるんだって だからどうなのかなって思ったんだ」という無邪気な問いで逆撫でされ、ワキガの手術すら考えるが、どうやら家庭が生活保護を受けているらしく手術費など捻出できない。
 さらなる問題経験。「息子」は「アメリカ人」の「外見」にもかかわらず、英語が(とここでもそう英語で)。「外見」ゆえに外国人からよく英語で話しかけられるが、その度言語的コンプレックスに苛む。

©Philip Frowein

 そこに蝶々登場。「ハーフ」の「息子」の母親らしい。どこぞやで目にした外国の優生思想の研究(顔の外見が悪い人間に犯罪者や精神病者が多い)を鵜呑みにし、自分も犯罪者や精神病者になりたくないからと、目と鼻の整形手術を受け、マリア様に近づきたい、けれどやはり(「息子」同様)手術代など払えない、と慨嘆。
 蝶々退場。「息子」のモノローグが再開。今度は母子関係についての問題経験。――母親が経血まみれのパンツを、自分も歯を磨いたり顔を洗ったりする洗面台で洗っていた。履き古された四枚のパンツはすべて血のシミが薄汚くつく。「息子」にとっては「最低限の人間の尊厳」すらもたない母親は、もしかして自分にまだ生殖能力があるのだと示したくて経血のシミをつけつづける?と訝る。顔の整形の代わりに、子宮摘出手術を受けろと、苦々しく叫ぶ。
 「息子」の「ハーフ」としての唯一の自慢の種は、アメリカ人の父から受け継いだらしい「アメリカ人」なみに「大きいちんこ」。あまりに大きいので、右手のスクリーンに先ほどから踊りのたうち続ける件の(セーラー服姿の)日本人の女の子の小さいまんこに入るかどうかと妄想する。女の子ののたうちは、「あ〜あ〜〜あ〜〜〜」と、エクスタシーの高まりとともに、激しさを増し、絶える。
 蝶々再登場。「母」は「息子」に自分で新しいパンツを買ってきたと、白くて大きいがフニャッとした「大きなちんこ」でオナニーする「息子」の頭を内股に抱き込みながら、自慢する。そして、「息子」の「アメリカ人」の立派な「外見」への愛着を今さらながら反芻し、「アメリカのちんこ」をも愛でる。
 蝶々=「母」を強姦した「アメリカのちんこ」、白くて大きいがフニャッとした一物は、今や「息子」に遺伝=受け継がれ、股の間で反復されている。「母」は、その今も身内に残る「痛み」を「Please!」という叫びとともに想起する。「母」の近親相姦的エロスの臭いを嗅ぎつけた「息子」は、「母」に「死ねよ!」と吐き捨てる。
 「母」=蝶々は、またもや「カブキ」の「ミエ」を切り、丸腰と見えていた懐から、なんと匕首を閃き出し、自害を遂げる。そこに、天井から真っ赤な花吹雪。匕首を自らに「ツッコミ」、蝶々こと現代版マダム・バタフライは、血を、この生命の源を、今度は股間からではなく、腹から流す、のか? いや、それはあまりに「カブキ」的にキッチュ化された真っ赤の花吹雪としてイロニー化され、そこに「外部」としての不可視の“血”が「やってくる」。そして、その「外部」=“血”の召喚、天然知能は、今や第二幕の劇作術的自刃を反復するだけでなく、さらに増幅し、バロック的ともいえるクライマックス、決してあってはいけない“ハーフ”の誕生をco-produceする。
 暗転した中、スポットライトが真っ赤な花吹雪が散り敷いた蝶々=「母」の遺骸を浮き立たす。厳かにも「アベ・マリア」が響き渡る。エンディング?と思いきや、「アベ・マリア」は、突然躍動するリズムを刻み始め、蝶々はバロック的CGのファサードの只中で、天使たちとミニチュアの登場人物(ザビエル、ビゴー、ケイトなど)のアバターに囲まれ、聖母マリアへと昇天=「昇格」していく。本来、彫りの深い目鼻立ちの白く美しいマリアの顔の代わりに、なぜか黄色い蝶々の平べったい、いやこれまたCGゆえにスーパーフラットな顔が(冒頭のマリア・カラスの絶唱する「ある晴れた日に」の強度に引き攣っていた「顔」に木霊するように)うごめきながら、胸に抱えた「息子」(=キリスト)に話しかける。
 「ごめんな ⾎だらけにしてもうた 天国でお⺟さんは蝶々夫⼈からマリア様に昇格すんねん お⺟さんはええこと思いついたんや よう聞きなさい あんたはマリア様の⼦供なんやから 神⽗になりなさい せやけど信者になれってことやないで ⽇本の結婚式場の神⽗ってほんまもんの神⽗やないことも多いらしいねん ⽩⼈のハーフが神⽗として働いてんねんて その⼈もお前みたいに⽇本語しかできへんのに⽚⾔でチカイマスカって⾔ってんねんて それだけでお⾦もらえるんやって お前の天職やん ほんまありえへん あほな⽇本⼈に愛を誓わせんねん チカイマスカって ⽇本語しかできへんくせに⽚⾔の⽇本語で⾔うねん そしたらあほはありがたがって 誓うんや ⽇本⼈はなんでもええねん ⽩⼈の顔やったらありがたいねん あんたは⾝⻑も⾼いし 肌も⽩いし 顔もアメリカ⼈みたいやけど モデルとかはやめとき 歳とって禿げてデブったら商売あがったりやろ ⼿堅く最初から神⽗がええねん 神⽗は禿げてもブタでも関係ない ザビエルだって禿げてたしな それであんた⼀⽣安泰やで」。
 こんなことがあっていいのだろうか。蝶々は今や「昇格」し、マリアなのだ。蝶々マリアなのだ。それは、蝶々=日本人にとっては「昇格」かもしれないが、マリア=西洋人にとっては蝶々=日本人=「猿」への「降格」に他ならない。蝶々=マリアという、「東」と「西」の「ハーフ」が、二つの異なった「文脈」の「ずれ=スキマ=ギャップ」で、どちらの「文脈」にも属さない「外部」を打ち開く。しかも、絶えず「やってくる」「外部」は、日本の「神父」のキッチュさ、日本人のアホさ加減を、相変わらずエセ「関西弁」で皮肉りまくる=イロニー化する、その裏側で、デブでも(ザビエルのように)ハゲでも一生安泰な天職を、あろうことか「息子=キリスト」に斡旋する。キリスト(教徒)への何という瀆神だろうか。
 このノイマルクト劇場と市原佐都子/Qがco-produceした『Madama Butterfly』は、ついに禁断の蝶々=マリア(東=西)という「ハーフ」、「外部」をめくるめく召喚し続ける「ハーフ」を生/産みだして終わっていく。
 市原は、初期作品から一貫して「あらゆる人間の『生命』を肯定する試み」*¹⁰を実践してきた。そのマグマの如き生命力の噴出は、とりわけ女性パフォーマたちの全身全霊の細胞を沸き立たせ、炸裂させ、絶叫させ、笑い狂わせ、また観る者を茫然自失させ、煽りまくり、襲いかかりつづけ、「人間」世界の何重にも折り重なったあらゆるタブーの網の目=文脈を切り裂きまくってきた。
 だが、その生命力、いや今や「天然知能」というべき力は、作品を経るごとに切れ味と技を錬磨し、今作では、最後の最後までその匕首を懐に忍ばせたまま、我々「人間」の認知、そして生そのものを縛ってやまぬ執拗なステレオタイプ、イデオロギー、ことに意識下の「文脈」をいわば全方位的に、観る者たちにも悟られぬほどの早技で斬り裂きつづけた。はたして、天然知能=ガイアは、「人間」と共生、いや交配できるのだろうか。

©Philip Frowein


 イサム・ノグチは、第二次世界大戦終戦後の1950年、父が長年教鞭を取った慶應義塾大学の三田キャンパスを訪れ、大空襲により壊滅的な打撃を被ったキャンパスの復興に尽力していた建築家谷口吉郎に協力し、新しい研究室棟(「第二研究室」)の建設に臨む。とりわけ「新万来舎」と呼ばれることになる教職員と学生との交流スペースとその庭園のデザインを担うことになる。中央に円形の暖炉のある、その特異なスペースは、床が三層構造になっていた。「その部屋は、三つのレヴェルに計画された。一つは、歩く為の石を敷いたレヴェル、第二のより高いレヴェルは、歩く為と坐る為と両方の為の木の床のレヴェル、第三は、畳(日本の厚い藁のマット)のレヴェルで、日本式にも西洋式にも坐る事の出来る所で周囲に沿ってつくられた。そして、一部分には、編み細工のもたれがつくられた。この設計の目的は、家具を除いた畳のレベルの平面を出来るだけ多く保ち、同時に、西洋式の動き廻る自由と椅子に腰掛ける安楽さとを許す事であった。設計の中軸は、大きな円い(直径5呎の)暖炉である。それは、パイ型の石で、空気を通す為に少し上下の間をあけ、そして、日本式に坐った時に、火鉢兼テーブルの役目をするように持ち上げられて居る。地震に備えて、床を持ち上げ支えるコンクリートの笠がつくられた。又、そこには、一番低いレヴェルの所に、図書室の部分と大きな食卓がつくられ、茶卓と幾つかの床几とが置かれる。」*¹¹
 それはまるで、「日本人」と「アメリカ人」の混血児、「ハーフ」であるという自身の出自を逆手に取りデザインし、逆に誰をも分け隔てなく受け入れる文字通り千客「万来」の空間の創出であった。
 私は、実は、このキャンパスで学生時代を過ごし、その後1992年から20年間母校で教鞭を取ったが、私の知る限り、この、イサム・ノグチのキャリアにおいても特異かつ最重要な造作の一つは、「万来」どころか、いつも鍵がかかり、庭にいたっては雑草の生え放題で、その存在すら(「ノグチルーム」という通称同様)ほとんどの学生に忘れ去られていた空間と化していた。しかも、この貴重な創作物が、ゼネコンの建てる新しい法科専門大学院の新校舎のために解体され、移築されることになった。
 そこで、当時私の授業に参加していた40余名の学生とともに、このノグチの独創的なスペースを本来のコンセプトに立ち戻り、千客万来のカフェ的空間にしようとプロジェクトを計画・実行した。題して「万来喫茶イサム」。しかも、「フェスティバル/トーキョー」の前身「東京国際芸術祭」のコミュニケーション・プログラムと連携し、芸術祭の参加アーティストが劇場を離れ、このスペースに自由に出入りし、学生や教職員や市民に混じり、喫茶しつつ交流し、興が乗れば料理をしたり、パフォーマンスしたりと、真に「万来」の空間を創出した。
 そこにある日、同芸術祭でタイ・フィリピン・日本(弘前劇場)が共同制作し上演した『インディアンサマー』のメンバーがやってきた。各々が来場者たちと自由に交歓した後、あるフィリピンの俳優が、この素敵な時空間へのお礼にと、作品でも歌った「アベ・マリア」を、この「ハーフ」の「万来」の空間で熱唱してくれた。

「万来喫茶イサム」

***

 私が以上の原稿を市原に送ったその夜、彼女はかくも驚くべき事実を語った。――2020年2月から3月にかけ、のちに『マダム・バタフライ』の戯曲となる台本のプロトタイプ(市原の書き下ろしとプッチーニの『蝶々夫人』からの引用との混成からなるテキスト)を参加者が朗読するリーディング・パフォーマンスが開催される予定だった。結局、コロナ禍によりオンライン配信に変更されたが、その開催予定地は「新万来舎=ノグチルーム」であった。



*¹ 以下、《 》に囲んだ文章は、ドウス昌代『イサム・ノグチ――宿命の越境者(上)』(講談社、2017年)の当該部分の記述を私が再構成したものである。
*² 戯曲によると、設定は2004年、すなわちプッチーニのオペラ『蝶々夫人』(1904年初演)の100年後。
*³ 郡司ペギオ幸夫『やってくる』、医学書房、2020年、33-39頁。
*⁴ 市原佐都子「私的、表現の不自由」、『新潮』、2020年2月号、1381号、187頁。
*⁵ ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』、大峯顕・佐藤康彦・高木久雄訳、晶文社、1970年、101頁。
*⁶ 私は昔フランス留学時代に、ホームステイ先でフランス人の家族にこう尋ねられ(もちろんフランス語がその頃そうできなかったこともあるが)返答に窮したことがある。「日本ではどのように結婚するのか。」「神社で結婚する人もいるが、多くの人が教会で結婚する。」「キリスト教の教会か?」「Oui」「日本人の多くはキリスト教徒なのか?」「いや、人口の約1%しかいない。」「ということは、キリスト教徒でない多くの日本人がキリスト教の教会で結婚するのか。」「Oui」「そんなことが日本の教会では可能なのか。」「Oui」「信じられない。」「キリスト教では、結婚は、夫と妻との結婚であると当時に、神との結婚であることを知っているのか。」「…」
*⁷ ジャン・ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』、法政大学出版局、1984年、17頁。
*⁸ ケイン樹里安「ルッキズムとレイシズムの交点――「ハーフ」表象をめぐる抑圧と対処」、『現代思想』、2021年11月号、30頁。
*⁹ 同上。
*¹⁰ 「生理感覚を信じる 市原佐都子のリアル」、国際交流基金アーティストインタビュー
*¹¹ イサム・ノグチ「私の見た日本」、長谷川三郎訳、『芸術新潮』1951年10月号、102頁。

(なお、市原さんには、本作の台本、記録動画をご提供いただきました。ここに改めて感謝いたします。)


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熊倉敬聡
芸術文化観光専門職大学教授。同学術情報センター長。慶應義塾大学教授、京都(造形)芸術大学教授を経て現職。パリ第7大学博士課程修了(文学博士)。フランス文学 ・思想、特に「ステファヌ・マラルメの“経済学”」を研究後、コンテンポラリー・アートやダンスに関する研究・批評・実践等を行う。大学を地域・社会へと開く新しい学び場「三田の家」、社会変革の“道場”こと「Impact Hub Kyoto」などの 立ち上げ・運営に携わる。主な著作に『GEIDO論』、『藝術2.0』(以上、春秋社)、『瞑想とギフトエコノミー』(サンガ)、『汎瞑想』、『美学特殊C』、『脱芸術/脱資本主義論』(以上、慶應義塾大学出版会)などがある。