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photo by bozzo

音で観るダンスとダンスで聴く音
中島那奈子

2022.5.5

photo by bozzo

2021年7月、9月、11月の城崎国際アートセンターでの滞在制作、12月の横浜でのショーイングを経て、2022年3月に実施した「音で観るダンス 上演&トーク」を、ダンス研究者・ダンスドラマトゥルクの中島那奈子さんがレポートしてくださいました。
 2022年3月13日コロナ禍の規制が緩和され、多くの人が集まる城崎の国際アートセンターで行われた「音で観るダンス」の上演に立ち会った。上演前に城崎国際アートセンターの吉田雄一郎さんと企画者の田中みゆきさんの挨拶が行われ、これは目で見えることを担保にしないダンス上演であることが説明された。舞台の床一面には黒のリノリウムが敷かれ、階段状に客席が組まれた空間は、通常のダンス公演と同様の設えになっていた。出演するキラキラしたアーティストの名前には、これまで障がいや福祉をテーマに活動してきた人は見当たらない。この企画は、障がいを持つ当事者によるディスアビリティ・アーツでも、障がいを持つ人も持たない人も創作に関わるエイブルアートの流れでもないのかもしれない、という印象を抱く。

 上演は、前半と後半とに分かれ、その合間に観客とのエクササイズが挿入されていた。前半は、サウンドセクション。天井からマイクがさがっており「ダンスの音ってなんですか」という自動音声の問いに、Googleが回答する。女性の声による擬音語・擬態語、吐息やため息、唸り声、喘ぎ声がスピーカーから聞こえる。そして、サウンドの荒木優光さんと甲田徹さんが、キャスターのついている床置きのスピーカーを舞台の右端から左端へ、左端から右端へとゆっくり動かしていく。私が見た回では、一つのスピーカーにネギが乗っていて、床にはプラスチックの袋が落ちていた。二人のスピーカーを引回す動きにつれて、次第にスピーカーが擬人化され、モノを動かす男たちが文楽の人形遣いのようにも見えてくる。ケーブルを肩に引っ掛けて裸足でのっそり動く姿を、舞台照明が浮かびあがらせる。動きから生まれる音を使った吉開菜央の映画『ほったまるびより』や、荒木さんのゾンビのサウンドパフォーマンスを思い出したりする。音源のスピーカーは動くけど、ヘッドセットで聞くわけではなく、こちらの客席も正面で固定されていたので音響効果はかなり限られている。サウンドパフォーマンスではなく、これはスピーカーを主体とする「音で観るダンス」ととるべきなのか。そういえばこの作品の前段階はラブドールを使ってのダンスの試みであった。


 前半と後半の間にはいる康本雅子さんによる観客とのエクササイズは、アフォーダンスや中動態の関係を身体で思い起こすものであった。手で耳を触って下さい、そして今度は耳で手を触って下さい。触る側と触られる側がスイッチする。いや、結局わたしたちの感覚は、そういった外の環境との相互作用で成り立っているものなのだ。専門的な説明は一度も出てこなかったが、環境が人間の動きを誘いアフォードしていくという考えや、能動と受動を超えた中動態の概念につながる、鋭いひらめきを持ったエクササイズだったと思う。この部分が、前後の作品のコンセプトにスムーズに繋がっていくと、ダンスでの自己と他者、モノとの関係をより理解しやすいのではないかとも考えた。

 後半は、テキストセクション。客席に座っていた観客は、床に座るように促される。半分くらいの観客が雛壇をおりてリノリウムの舞台を囲むように座る。舞台の対極に二人のダンサー、康本さんと鈴木美奈子さんが現れ、新聞紙、包丁、ネギを使って動く。二人は意図的に18mくらい離れて踊っているので、ほとんどの観客はどの位置からみても、二人を一緒に見る視野は確保できない。踊りに合わせて、いや踊りに時に突っ込むように、五所純子さんの書いたテキストを中間アヤカさんが声に出していく。録音かと思っていたら、中間さんは客席の背後に座っていて、リアルタイムでボイスパーカッションのようにリズミックに言葉を投げていた。ラップのような、無声映画の弁士のような。ただこのテキストは動きの解説にはなっていないので、動きにコメントしたり動きを誘発したりする舞踏譜のようにも聞こえる。
 「新聞紙をお腹で読む」に合わせて新聞紙に腹ばいになる面白い振り。ネギをもっての「ネギボレー!」では、ネギの匂いを空間にたっぷり漂わせ、ネギを振り回す。しまいには、ネギを齧る。キャメロンとディアスと呼ばれる二人の動きはそれぞれ鋭さと正確さを備えていて、音楽ではなく言葉に合わせて動く難しさは、特に感じられない。康本さんのなめらかな動きはどれもユーモアたっぷりで魅せられてしまうのだが、包丁を使っての動きは、刺しそうで刺されそうで、モノが誘発する力が一際強く働いていた。ただダンサー二人はそれぞれソロで、目立ったコンタクトもリフトもない。と思っていたら、最後に舞台中央に集まってきて呼吸の交換をする。「二酸化炭素を出しすぎる」「一つの体が二人いる」耳に届くテキストは抽象的で考えてしまうものの、目の前の二人は舞台中央で向き合って立ち尽くしている。


 上演後はそのまま感想を共有するグループディスカッションとなり、私の10人ほどのグループには視覚障がいを持った人が一人加わっていた。その方は、舞台を視覚以外の感覚を通して感じたことを話してくれた。一方でこのグループの晴眼者には、身体の動きに言葉の意味を読み込もうとする演劇的見方をする人が多かった。そのため、見える見えないという感じ方の違いよりも、見える中でのグラデーション-つまり動きを言葉に回収させるか、動きを形象そのものとして受け取るか-の違いのほうが大きい印象を受けた。作り手が受け手に、見えている人が見えていない人に種明かしをしてしまうのではなく、お互いの感じ方を開き、ダンスを拡張していく方法はどのようなものだろうか。

 この「音で観るダンス」は、これまで研究会として音声ガイドを作る方向で活動を進めていて、2017-2019年度の報告書にはそれまでに関わった人々がテキストを寄せている。その中でも、映画監督で東京ろう映画祭ディレクターでもある牧原依里さんと、この企画の研究会メンバーで鍼灸・マッサージ師岡野宏治さんの対話が心に強く響いた。先天的なろう者である牧原さんによると、音楽は他のメディアに置き換えられるものでなく、 ろう者が持っている環世界に聴者の音楽の感覚を「翻訳」し繋いでいくことで両者の接点が見つかり、そこではまた、客観的に伝えるだけでなく直感的に「通じる」という部分が必要だという。そして、中途失明者である岡野さんによると、視覚障がい者にむけて音声ガイドをつくることは、ただのサポートではなく、異文化交流という意味が大きい。その意味では、視覚障がい者を「視覚が欠落した人」ではなく「視覚情報を使わない文化を生きている人」と見てもらいたいという。
 特権を持つものはそのことに無自覚になりがちだが、私たちの社会や制度の一つ一つが、健常者/晴眼者の感じ方や行動パターンをデフォルトとして作られている。ただブラック・ライブズ・マター以後の世界では、特権を享受してきた私たち多数派はそれに無批判でいることはもう出来ない。お互いの力の不均衡を超えて、異なる文化をどのようにダンスで繋いでいけるのだろう。


 ピーター・ブルックなどの演出家が、東洋の文化を取り入れて西洋の演劇を活性化するような作品は、かつてインターカルチュラルパフォーマンスと呼ばれていた。 間文化主義、あるいは異文化接触主義と訳されるこのカテゴリーは、日本では「国際共同制作」として知られる。そこではアジアやアフリカの舞台芸術が取り入れられるのだが、その多くが主導権を持つ演出家の感じ方にそって、多数派となる欧米白人男性の観客向けに作り替える作品が多く、元の文化の観客には問題含みの作品となる傾向があった。この文化の非対称性と支配構造は欧米とそれ以外の文化だけでなく、健常者と障がい者の文化にも当てはまる。多数派が少数派の文化を飲み込んでいく-そういった文化の不均衡を乗りこえる交流として、パフォーマンス文化の織り合い「インターウィービング・パフォーマンスカルチャー」という考えが近年提唱されている。これは、異なる文化を表面的に取り入れるのではなく、その感じ方を創作過程で作品に編み込んでいく。繋いだ先の人々にも、同等に意見を出すように促す、と言っていいかもしれない。この「音で観るダンス」の企画に即して言えば、それは晴眼者も視覚障がい者も同等に企画段階から関わること、なのではないだろうか。そして、それが現在の健常者の感じ方を基にした「作品」のあり方、「芸術」や「劇場」といった制度を変えていくのではないだろうか。
 美学者の木村覚さんも報告書で、劇場建築や制度が異なる身体の観客を排除してきたことを指摘している。加えて、舞台芸術は晴眼者の水準で作品を見るバイアスがあるため、このような実験的企画では「作品」や「劇場」「客席」という枠組みから観客の身体や体験を自由にすることを促している。康本さんのいうように、この「音で観るダンス」の企画は価値観を覆すコンテンポラリーダンスと相性がいい反面、実験と「作品」のあいだのどこでバランスを取るか、が重要になるのかもしれない。

 神奈川芸術劇場ではこれまで視覚障がい者が多く来場する作品はなく、劇場スタッフにはこの企画が貴重な経験になったという。その反面、田中みゆきさん自身は音声ガイドの試みを「音で観るダンス」のプロジェクトの中に留めず、神奈川芸術劇場主催の他のダンス作品にも音声ガイドをつけたいと望んでいたものの、三年経過してもそこまでの達成は難しかった。城崎国際アートセンターでもこれまで「音遊びの会」によるワークショップはあったというが、今後、ディスアビリティ・アーツを含めより多様な団体を受け入れることで、施設も制度もスタッフも多くの変更を強いられるかもしれない。ただ創作プロセスそのものである滞在制作においてこそ、言語であれ感じ方であれ、異なる文化を持つ人へのアクセシビリティの確保は避けて通れない。そしておそらくそれは、城崎を開放し、多様な新しい観客を育てていくことにつながるだろう。
 晴眼者も視覚障がい者も一緒に「鑑賞する」感覚を共有すること。今回の城崎国際アートセンターでの試みも、サウンドを聴く人とダンスを観る人とを一堂に居合わせることが目的であり、「音で観るダンスとダンスで聴く音」、奇しくもこの作品の前半と後半を繋いで、直感的に「通じる」ことが、私たちこれからの観客に求められているように感じた。


音で観るダンス 上演&トーク
振付・出演:康本雅子/出演:鈴木美奈子/サウンド:荒木優光/テキスト:五所純子/
朗読:中間アヤカ/サウンドテクニカル:甲田 徹/制作:加藤奈紬/企画・プロデュース:田中みゆき
主催・製作:城崎国際アートセンター(豊岡市)
助成:令和3年度 文化庁 文化芸術創造拠点形成事業、公益財団法人セゾン文化財団



中島那奈子
老いと踊りの研究と、創作を支えるドラマトゥルクとして国内外で活躍。プロジェクトに「劇団ティクバ+循環プロジェクト」(振付砂連尾理、Kyoto Experiment 2012)「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(京都芸術劇場春秋座2017)、「ダンスアーカイブボックスベルリン」(ベルリン芸術アカデミー2020)、レクチャーパフォーマンス「能からTrio Aへ」(名古屋能楽堂2021)。2019/20年ベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授。編著に『老いと踊り』(共編外山紀久子、勁草書房)、近年ダンスドラマトゥルギーのサイト(http://www.dancedramaturgy.org)を開設。2017年アメリカドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞。