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「上演」という思索の過程
藤田一樹

2022.6.8

ダンサー・現代ダンス研究者の藤田一樹さんによる、KIAC滞在アーティスト 武本拓也のこれまでの活動と滞在制作前半を振り返るレポートをお届けします。
 518日から74日までの約1ヶ月半、城崎国際アートセンター(KIAC)に武本拓也が滞在している。普段は東京を拠点に活動する武本は、武蔵野美術大学映像学科を卒業後、会社員として仕事をする傍ら「上演」と呼ぶ独自の実践を展開。「人が人の前に立つという事は何なのか」という問いを掲げ、近年は毎年1回のペースでソロ公演を行うほか、ジャンルの垣根を超え様々なアーティストの活動にも参加・協働している。今回の滞在中は、5年前から毎日実践しているという約1時間の上演が、平日は19時からKIACのスタジオにて、土日は豊岡市内の各所にて一般公開される。武本の活動は極めてユニークである一方、パッと見聞きしただけではその実態が掴みにくいのも事実である。そもそも毎日行われている「上演」とはなんなのか?1ヶ月半に及ぶ長期滞在でKIACがどのように使われているのか?私は今年度のアーティスト・イン・レジデンス選考委員としての視察を目的に、527日から29日にかけての上演に立ち会った。このレポートでは、これまでの武本の活動を振り返りつつ、今回の滞在が武本・KIACの双方にとってどのような意味を持っているのか探っていきたい。

 武本が2017年6月からの5年間毎日取り組み、そしてKIAC滞在中も引き続き行なっているのが「上演」である。それでは「なにを上演するのか?」と疑問を抱く人が多いのではないだろうか。確かにこの言葉は「〜を上演する」というように、作品や演目の存在を前提にして使われるだろう。しかし武本は、あくまでも上演という行為そのものに着目する。出演者は武本ただひとり。日々の上演では決まった台本や振付があるわけではなく、音楽・照明・美術といった演出効果はもとより、空間には舞台と客席の境目もない。武本の言葉を借りれば、そこで行われるのは「その場所にいる」ことだという。

 「では始めます」。徐に開演を宣言したかと思うと、黒いシャツとパンツに身を包んだ武本は直立し、目の前に広がる空間を見つめ始める。そこにあるすべてのことを逃さず捉えようと、ジッと硬直しながら観察しているようにも見える。微かな物音にすら敏感に耳を澄ませるような、その静かな強さを纏った佇まいからは、目を向けるべき、耳を澄ますべきことは開演前から既にそこにあったように感じられる。しばらくすると静かに歩き始めるが、それは体重移動を細かく段階的に行うもので、最初はただ直立しているのか、それとも歩行しているのかの判別さえ難しい。重みのある一歩は、止まった時間を動かすようにゆっくりと踏み出される。か細く何かを訴えかける手の動きにも目がいくが、それは身振りとして特定の意味を持つ前に消えてしまう。体の内側から何かが溢れ出るように、やがて空間を凝視する目からは涙が溢れ、言葉を失ったような口元からは涎が垂れていく――。

 1時間弱の上演中に「見える」ものを言葉にすると、立つ・歩くといった日常から地続きにあるシンプルな動作に置き換えられる。しかし、そこから「見えてくる」ものは極めて複雑だ。それは言葉にするとすり抜けていくように捉え難く刹那的で、刻一刻と変化する体の質感そのものが上演の主題を担っているかのようだ。武本の上演では、何かを表現するのではなく、そこにいるとはどういうことかという、表現以前の問題定義がされている。それは観客にとっても、人を見るとはどういうことかを問われる特殊な体験だと言えるだろう。

 今回の滞在では日々の上演を継続して行うと共に、これまでの活動の言語化、そしてこれからの展開に向けたリサーチが行われている。美術の文脈で学びながらも演劇から強い影響を受けた武本は、2015年にこの上演形式を確立させる。アクショニストの首くくり栲象に師事し、2017年には観客の有無を問わず日課として上演を行うようになる。日中は東京の企業に勤める会社員である武本は、勤務が終わった夜になると、公民館の一室を借りてこの独自の実践を続けてきた。興味深いのは、今回の滞在でもこの生活形態が維持されている点である。日中はKIACに新しくオープンしたワーケーションスペースでリモートワークを行い、夜はスタジオで上演を行う。東京でのルーティーンがそのまま城崎に場所を移すという、このような滞在の仕方はKIACにとっても新しいと言えるだろう。というのも、滞在アーティストの多くは、演劇やダンスといった舞台芸術の作品発表に向けてのリハーサル、若しくはそれに伴うリサーチを行うために城崎を訪れる。このスタイルにはある一定の期間、じっくりと集中して創作活動できるメリットがある一方、普段の生活や仕事から離れることによる経済的な問題を憂慮するアーティストも多いかもしれない。武本のケースは稀かもしれないが、KIACでの長期滞在を可能にする方法の一つとして注目すべきだろう。

 私が城崎に滞在していた3日間、毎日場所を変えて上演を見る機会に恵まれた。
 5月27日の会場は、豊岡駅からほど近い芸術文化観光専門職大学の劇場。この日は学生向けの特別講座として上演と交流会が催された。まず武本から簡単な挨拶があった後、集まった20人弱の学生たちを前に30分ほどの上演が行われた。劇場に満ちた静寂のなか、息をこらすように武本の一挙手一投足を見つめる学生の姿が印象に残った。緊張感に満ちた上演後に行われた質疑応答では、多岐にわたる質問が寄せられた。細かな動きに関するものから、「観客とはどういう存在なのか」という壮大かつ鋭いものまで。武本の上演から喚起させられるイメージや言葉の多様さが感じられる。交流会後半にはレクチャーがあり、武本がどのように活動を継続しているのか窺い知ることができた。日中の会社員としての仕事、そして毎晩行われる上演活動の密接な繋がりは、持続的な活動方法を考える上で示唆に富んでいるように思われた。



 28日は、豊岡市街地に場所を移し、ふれあい公設市場内にあるHostel Act もりめ食堂で上演が行われた。前日の劇場で感じられた静けさとは打って変わり、この日の会場はゲストハウスのリビングでもあるカフェ・バースタンド。街の喧騒が遠くからぼんやり聞こえてくるなか、こぢんまりとした空間で、観客が武本を取り囲むように約1時間の上演を見守った。土日に市内各所で行われる上演では、観客をKIACに招くのではなく、新しい場所、コミュニティへと武本自らが入っていく。終演後には飲み物を片手に感想を語り合い、観客との距離感の近さが印象に残る時間だった。上演だけにとどまらない交流の場に身を置きながら、これから武本がどのような場所や人々と出会っていくのか期待を膨らませた。



 私の滞在最終日だった29日は、KIACのスタジオ1で行われた上演に立ち会った。このスタジオは建物の1階にあり、エントランスホールから地続きにありながらも静謐さを保った不思議な魅力がある。ここで平日19時から上演が一般公開されている。この日は武本が滞在を開始してから12日目だったが、既にこのスタジオで積み上げてきたことが感じられるような、空間との調和を強く感じる内容だった。私は武本の体や動き以外に注意が向く瞬間、上演の持つ豊かさを感じることができる。開け放たれた窓から聞こえる音、無言で語りかけてくるような蛍光灯の灯り、足元から感じられる床の冷たさ――。武本の体を取り巻く音や光、空間、そして観客である自分自身の体にも注意が向いていく。前日までの上演と比べると動きや動線がよりシンプルだったせいか、多様な解釈を可能にする余白があったのかもしれない。そこには同じ空間で繰り返し実践することでしか生まれない、独特の質感が感じられた。

 今回武本が掲げる滞在テーマのひとつが「言語化」である。上演の持つ抽象度ゆえに様々な言葉の交換が盛んに行われるが、ここには二つの側面があるように思われた。まず、武本自身による言語化である。武本はこれまで上演にまつわる言葉を綴り、その一部は公演のフライヤーやプログラムで触れることができる。また、ワークショップなどを通じて、実際に自らの実践を他者に伝えていく試みも行なっている。二つ目は、観客による言語化である。終演後には観客から感想がシェアされる時間があるが、ここで投げかけられる言葉によって、上演の輪郭がまた新たに描かれると言っても過言ではない。この二つの側面からのアプローチは、似て非なるものでありながら、分け難く重なり合っている。そもそも毎日行われている上演は、作品の完成発表といった特定の結果を目指すのではなく、体を通した思索の過程そのものに焦点が当たっている。日々の稽古とその延長線上にあるはずの本番が、ここでは重なり合っているのだ。そこで交わされる言葉は既に行われた上演の軌跡を描きながら、次の上演に向けての新たな足がかりとなる。ここでの言語化は話すことが目的なのか、書くことなのか。上演に立ち会う人たちの間だけで共有されるものなのか、それともまったく知らない人たちにまで届くものなのか。この複雑さを保ちながら、どのような言葉を、どんな方法で、どこに宛てるのか。言語化の方法や方向性を吟味することは、武本の実践にまた新たな光を当てることに繋がるだろう。また、これは劇場ではなく稽古場としての性質が強いKIACにとっても、重要な問いのように思われた。作品という完成品ではなく、まだ形の定まらない制作過程をいかに言葉にして発信していけるかは、アーティスト・イン・レジデンスの更なる可能性を啓く上で必要不可欠だろう。武本の滞在は74日まで続く。ぜひ多くの方に上演に立ち会っていただきたい。



 

藤田一樹
ダンサー。現代ダンス研究。 演劇を学んだ後、2015年に渡仏。パリ地方音楽院舞踊科を経て、2018年アンジェ国立現代舞踊センター(CNDC)卒業。2021年パリ第8大学舞踊学科修了。キム・キド、アナ・リタ・テオドロ、高田冬彦らの創作活動に携わる。城崎国際アートセンター「アーティスト・イン・レジデンスプログラム」選考委員。